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I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『薄い桃色のかたまり』
さいたまゴールド・シアター『薄い桃色のかたまり』@彩の国さいたま芸術劇場 インサイド・シアター
おおお、岩松了の作品のなかで『シブヤから遠く離れて』と張るくらい好きかもしれん……岸田今日子と小泉今日子が共演した『隠れる女』や、一青窈の音楽劇『箱の中の女』(1、2)を思い出す。やっぱり岩松了は自分にとってかなりだいじな劇作家。網羅は難しくても、節目節目で末長く観ていきたい。以下ネタバレあります。モチーフのひとつとなる映画に関しては、知らないで行った方が現場で「……ああ!」となる驚きがあって楽しいと思いますよ。
東日本大震災後の福島を舞台にする、というプランは蜷川さんがご存命の頃に決まっていたそうだ。タイトルは富岡町の、夜の森の桜並木からイメージされたもの。蜷川さんだったらどう演出したかな、と考え乍ら観るところもありつつ、ああ岩松さんだとこうするか、こういう空間づかいをするのかと新鮮な思い。見えない場所に何を見るか、そこから聴こえる音から何が見えてくるか。観客に想像を促し、秘められた謎を覗きみる後ろめたさと快楽へと誘う演出。岩松さんのもともとの得意技だが、ステージを見降ろす構造のインサイドシアターではもうひとつの視点が加わる。天と地を見る視点だ。
岩松作品に頻出する「階段」は、正面客席の中央にある。インサイドシアターにもともと設置されており、観客の入退場に使われるものだ。最後列の後ろにある狭いスペースには木が一本。そこへ若者がやってきて、視線を宙に投げる。ハッとする。ここは、そして客席の勾配はあの高台だ。観客は登場人物と同じ目線で、同じものを見る。津波に覆われていく郷里をただ見るしかなかった、あの光景だ。床へと落ちる照明(岩品武顕)は雨粒となり、鳥瞰に映える色とりどりの傘が散る。それを差すひとたちの表情は見えない。客席の背後に、傘の下に、見えない場所がある。
岩松さんがゴールドシアターに書きおろした前二作はさい芸の小ホールで上演されたが、思えばこちらもすり鉢状で、ステージを見降ろす客席配置だ。ゴールドシアターに三作書きおろし、役者たちを十年見てきた時間がここにある。「蜷川さんへのオマージュは伝えたいという気持ちは自分のどこかにある」(後述のインタヴュー参照)と話した演出家と、いまはもういない演出家の共作を見たような思いになる。
岩松作品といえば、の緊張感あふれる対話が官能に転じる男ふたりのやりとり。あてがきだろうか、相対する内田健司と竪山隼太が再び観られるとは。ネクスト×ゴールドの『リチャード二世』(2015年、2016年)で、ふたりの対話に感銘を受けた自分にはたまらないものがあった。顔立ちが似ている訳ではないのに、鏡を介して立っているように感じる場面が何度もあったリチャード二世とボリングブルック。ひとりは去り、ひとりは残るという立ち位置も同じだ。黒の上下に白いシャツ、内田さんのジャケットはロングという衣裳(紅林美帆)の対比も、ふたりの身のこなしも美しい。
内田さんは、蜷川演出作品とは違う顔を見せてくれた。少し日灼けして、さっぱりしたストレートの黒髪。シェイクスピア作品や『カリギュラ』で見せた青白い顔と痩躯の若者ではなく、現代の青年がいた。そういえば主役を張る前、『財産没収』で内気な青年を演じていたときの彼はこうだった。カーテンコールではにっこり笑って礼をしていた。初めて見る表情。ささやいてもつぶやいても通るあの声は変わらず。彼しかもっていない声だ。これからさまざまな役で観るのだろうと思う。楽しみになる。
そうそうこれもあてがきかな(笑)、『冬眠する熊に添い寝してごらん』でいぬを演じた中西晶が再びのよつあし役。すんばらしいいのししでした。いやほんとすごいよ。めちゃめちゃ至近距離で見られるシーンがあったんだけど、めちゃめちゃいのししだったよ。むっちゃかわいいし。身体的にとても負担がかかる役なのでとてもたいへんだと思う。千秋楽迄どうぞご無事で……。
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09月23日(土)
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