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by kai
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■『焼肉ドラゴン』
鄭義信 三部作 Vol.1『焼肉ドラゴン』@新国立劇場 小劇場
鄭義信が新国立劇場に書き下ろした作品から、在日コリアンと昭和の時代が描かれている三本を三ヶ月連続上演する『鄭義信 三部作』、その第一弾。キャストは2008年の初演、2011年の再演から一新(劇中演奏家でもある朴勝哲、山田貴之は続投)。
初・再演に思い入れがありすぎて今回観られない、というひとのツイートを見かけたが、解るような気持ちになった。私は今回が初見なので、今回の演者=登場人物になる。架空の人物が演者を通じて目の前の現実に立ち、物語を通じて過去を生きている。この結びつきは忘れ難いし、愛おしい。彼らが目指した国や夢見た未来がどうなっているか、今を生きる観客は知っている。彼は、彼女はあれからどうなったのだろう。どこで、どうしているだろう。思いを馳せる。思いは募る。
1970年、大阪万博前後の高度経済成長後期。順番としては『パーマ屋スミレ』初演の次にこれを観たので、時系列的にも入りやすかった。1960年代に“アリラン峠”で働いていた在日コリアンたちが、炭鉱閉山後、伊丹空港(大阪国際空港)拡張工事等の労働力が必要とされる関西地方都市へと移り住む。その空港そばの集落でホルモン焼肉店―通称“焼肉ドラゴン”を営む家族と、そこへ集うひとびとの悲喜こもごもがを描かれる。
語り部は焼肉ドラゴン店主の長男。彼の回想ともとれる話運びで、彼はきっとこの街を出ていったのだろう、大人になった彼が過去を、故郷を振り返っているのだろうと思っていた。『パーマ屋スミレ』でもそうだったなあ、『ガラスの動物園』のトムのようだな、と思っていた。きっと彼は今、この土地とも、ここのひとたちとも無縁の生活を送っているのだろう。そして今は亡きこの集落やひとびとについて思いを巡らせているのだろう……。ところが物語は後半、予想外の展開になる。再演が重ねられているのでネタバレするが、彼は物語の途中で自死を選ぶ。彼は彼岸から観客に、そして今を生きる家族に語りかけていたのだ。思い返せば過去を語っている筈の彼は、十代当時の姿のままだ。演じるのはイキウメの大窪人衛。彼の童顔と高く澄んだ声が、幼いままで長い時間を過ごした存在として活きる。僕はこの街が、ここにいるひとが嫌いだった。でも、本当は……大好きだった。
在日コリアン放浪の物語でもある。彼らには祖国に帰らない理由、帰れない理由がある。さまざまな事情が知られているが、全てではない。自分が歴史を知らないということでもあるが、国家と社会が闇に葬り去ったできごとはいくらでもある。2000年代に入りようやく法と報告書が確定したという済州島四・三事件のことは今回初めて知った。翻弄され打ち棄てられるのは、いつも懸命に働く市井のひとびとだ。隆盛の犠牲にされる労働力、そこに必ず生まれる差別。差別をなくすために必要とされる教育、その教育の場である進学校で、凄絶ないじめに遭う長男。いじめの光景が実際に描かれることはないが、失語症となりバラックの屋根から身を投げる程追い詰められた長男の姿を見れば、それがどんなものだったかは想像がつくというものだ。おぞましさは想像の果てにある。彼の父親である焼肉ドラゴンの店主は、店も土地も失ってなお、明日はきっといいことがある、昨日より悪いことはないと自分に言い聞かせるようにくりかえす。未来への希望にも絶望にもなる想像なくして、ひとは生きていけない。
しかし鄭さんは、シリアスな各場面を必ずといっていい程笑いで〆る。涙にくれるひとたちを、観客たちを、ほっとひと息つかせる笑いでもてなす。舞台両端に映し出される字幕は、韓国語も関西弁に訳されている(笑)。吉本新喜劇が日常にあることも、鄭さんの原風景だ。と言う訳でツッコんでおきたい、ボンカレー作るのに何分かかっとるんじゃおかーちゃん!(笑)そして歌。ひとびとのくらしに寄り添う流行歌は、苦い思い出をほんの少し甘くする。甘いといえば色恋。気恥ずかしくなるような直球の告白、哀願。己の全てを晒け出す。照れ乍らもそれにグッとくる。
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03月13日(日)
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