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by kai
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■National Theatre Live IN JAPAN 2016『夜中に犬に起こった奇妙な事件』
National Theatre Live IN JAPAN 2016『夜中に犬に起こった奇妙な事件』@TOHOシネマズ日本橋 スクリーン3
2014年に上演された日本版の感想はこちら。
2012年の初演版。演出はマリアンヌ・エリオット。主人公クリストファーはルーク・トレッダウェイ、彼のよき理解者・助言者である教師シボーンはニアマ・キューザック、父エドはポール・リッター、主人公に重大な秘密を明かすことになるミセス・アレグザンダーにユーナ・スタッブス。他に五人が出演、計十人で複数の役を演じます。上演劇場のコッテスロー・シアター(現在は改装されドーフマン・シアター)は可動式の機構。今作はアリーナ形式で、四方を客席がぐるりと囲む仕様。キューブで仕切られただけの舞台で、最前列は本当に目の前、といった近さ。
アクティングスペースのフロアにはグリッドラインが引かれている。グリッドにはライトが仕込まれており、明滅する光の線は場面転換のガイド、個々のシーンを成立させる見立て、登場人物の立ち位置、振付のための所謂バミリといった役割を果たす。そしてそのグリッドをガイドに主人公は絵を描く、レゴのレールを敷く、そして目的地を目指して歩く。まるでヘンゼルとグレーテルが落としたパンくずのように、見えぬ道を照らすライトは主人公の心情や行動の指針としても表現される。フロアにはそのライトだけでなく、映像も映し出される。他にも役者がフロアに横たわって座る、歩くといったような、立体を平面に見せる「上空」を意識した演出が多く見られた。主人公が夢見る宇宙飛行士の視点でもある。あるいは優れたアスリートが持つ空間認識能力の高さを示すものでもあると思われる。
劇場は三階席迄あるそうなので、上から観る光景はさぞや美しかっただろう。実際映像には鳥瞰(真上からも!)カメラの視点が多用されていた。これは現場では見られないものだ。とても楽しめた。余談だが先週『僕のリヴァ・る』を観たとき「ああこの舞台、真上から観てみたい!」と思った視点があったことがなんとなく嬉しかった。舞台構造や客席配置にも通じるところがあったな。こういう連続する偶然性は楽しい。
登場人物はときにグリッドに沿い直線的に動く。それは主人公が見て考えている光景でもある。しかし家出をした主人公が駅で遭遇するのは混乱の極みともいえる光景だ。視覚も、聴覚も、その情報量を処理しきれない。同時に流れるアナウンスの量、歩きまわっているひとたちの数……このなかを平気で歩けるということは、ある種の感覚を閉ざしているということだ。自分を振り返り改めてぞっとする。主人公を恐慌に陥れるものを量として見せる、非常に数学的で明快だ。音と映像の洪水、そして主人公の行く手を覆う肉体でその質量を見せる演出が効果的。過剰とも感じるくらいだが、主人公の感覚は状況をこう受けとるのだと解釈すればとても自然なことだ。
数学の世界に社会の曖昧さがぶつけられる。一幕終盤、主人公が誰と暮らせばいいのか「一緒に住めない理由」をあげて悩む場面がある。その理由を言う度に観客が笑う。主人公の焦燥を社会は理解出来ない、その苦しさ。あまりにやりきれない思いで幕間に入ってもしばらく立てなかった。そしてトイレ並びに出遅れた(笑)。
心が寄るのはやはり父親、というのは変わらなかった。壁は高い、時間は長い。それでも彼と息子はいつの日か、再び掌を触れ合わせることが出来るだろうと信じたい。そして教師。幕切れで僕は何でも出来るよね、と訊かれた教師の表情をカメラは捉えない。後ろ姿を撮る。主人公の確信に満ちた、しかし社会的には無邪気ともいえる問いかけに応えられない彼女の表情を、四方を囲む観客の一部は見ることが出来た筈だ。前述の感想にも書いているが、日本版の舞台が上演されたとき、私は教師の表情を見ることが出来ない席にいた。そしてまた、彼女のことを考え続けることになった。
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02月24日(水)
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