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I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『ブルーシート』
『ブルーシート』@豊島区 旧第十中学校 グランド

2013年、福島県立いわき総合高等学校の生徒たちによって初演された作品が東京の廃校で再演される。2013年から2015年、福島から東京。時間と場所が変わる。登場人物はちょっと変わる。人数もちょっと変わる。出演者もちょっと変わる。そのちょっと変わることに何かが宿る。勿論その何かは、初演にもあった筈だ。その何かは、上演される度に姿を変える。しかしその姿が見せてくれるものは、命と言うものの凄まじさ、であることに変わりない。命は生まれる。命は消える。その繰り返し。

飴屋さんの作品は、その作品(出来事と言ってもいいだろう)に出てくる(いる、と言ってもいいだろう)ひとたちにまた会いたくなる。けど、もう二度と会えないんだなと思う。だから、観てきたものひとつひとつがだいじなものになる。

二度と会えないひとたち、作品と言うことをもうちょっと具体的に考えてみる。岸田戯曲賞をとり、出版されていたものからこの作品はちょっと変わっている。冒頭に書いたように、登場人物たちは初演時より歳をとっている。彼らは高校を卒業し、二十歳を超え、お酒が呑めるようになっていたりする。故郷を離れている子も、就職が決まった子もいる。それらに合わせて台詞が追加されていたり、変更されていたりする。

初演の場所であるいわき総合高校の上空にはトンビが飛んでいたのだろう、重要なモチーフとしてそれは劇中でも言及され、SEとしてその鳴き声が響く。ピーヒョロロロロ、ピーヒョロロロロ。東京の会場は隣にも学校がある。客席からは、台詞に出てくる「ブルーシートで覆われて」その後「コンクリートで覆われ」た「地震で崩れた」「崖」ではなく、その隣の校舎と、屋上に留まっているカラスが二羽見える。SEに呼応するかのように、カラスが鳴き始める。カアカア、カアカアカア。名前も知らない鳥が、グラウンドの上空をチィー、ピィー、とさえずり乍ら横切っていく。グラウンドの向かいの道路には、乳母車を押した夫婦らしいふたり、杖をついた老人がいる。彼らは立ち止まり、フェンス越しにこちらを覗き込んでいる。

「あ、あのトンビは、私を食べようと、しているな。」と言う女生徒の上空にトンビは現れない。しかしここには、それこそ屍肉を漁りそうなカラスがいる。名もなき鳥が鳴き終え飛び去る迄に、ほんの少し奇妙な間があった。恐らく音響オペレーター(視界には入らなかったが、飴屋さんが直接操作していたと思われる)が、鳥がさえずり終わるのを待ったのだと思う。

この日は雨が降った。観客たちはビニール合羽やレインコート、ウィンドブレーカーを着てグラウンドにいる。後ろに並んでいたひとは「フジ(ロックフェスティヴァル)でいつも使うの持ってきた」と話していて、自分もそうだった。見渡した客席は鮮やか(山の装備はそうなる)な色と半透明の色に彩られる。ト書きにはないシャボン玉(あれを散らす、紐を用いた道具はなんと言うのだろう?)が舞いあがり、雨による泥で出演者たちの靴は汚れていく。

これらは環境に因るところが大きい。そしてこの環境を察知する力は、演出家としての飴屋さんの特色でもある。戯曲=文字が、環境を得て立体的に現れる。紙面に並んでいた「逃げて! 逃げて!」がリフレインとなり、身体運動のリズムとともに、熱を帯び、響きを生む。それらと噛み合うように、違う言葉が声を得て、異なるリズムをもって重ねられていく。言葉の意味と身体のアクションで奏でられる、生命体の音楽のようでもある。それが観客の感情を衝き動かす。2011年の災害がこの作品の起点でもあるが、以前起こった西の災害のことを想起させる台詞もあり、自然の脅威は繰り返されるものだと思い知らされる。リフレインのようにそれは巡ってくる。そこに生きるものたちの思いなどはおかまいなしだ。自然は命を根こそぎ奪っていく。


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11月14日(土)
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