ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
[648315hit]
■朗読「東京」『白痴』
芸劇+トーク ――東京を読み 東京を語る。―― 朗読「東京」第三回『白痴』@東京芸術劇場 シアターイースト
昨年の『咄も剣も自然体』がとても面白かったので、今回も出掛けて行きました。シリーズ第三回、初日は川口覚×藤井美菜で坂口安吾の『白痴』を。演出は範宙遊泳の山本卓卓。企画監修、トーク聞き手は川本三郎。
舞台の下手に大きめのスクリーン。東京(確か池袋、芸劇周辺)の映像を開演前から流している。昼間の映像だったので、生中継ではない様子。中央に椅子二脚、上手には大きめのTVくらいのモニター。山本さんの演出作品は初見、当日パンフレットのプロフィールを見ると「文字・映像・光・間取り図などアナログな2次元のエレメンツを用いた“生命”や“存在”への独自のアプローチ」とある。
もとは三人称の小説。ふたりの登場人物―主人公伊沢と白痴の女性―をそれぞれ出演者ふたりが語るのだろうが、その他の描写、つまり芝居だとト書きとも言える部分はどうするのだろう? 序盤は様子見のような感じで鑑賞。登場人物たちの台詞も、伊沢の心情や情景描写も、厳密には分割されていませんでした。藤井さんが伊沢の心情を語ることもあればその逆もある。川口さんが白痴の台詞を語るとき、それは白痴本人が喋ったそのものではなく、それを聴いた伊沢の解釈が含まれているもの、と言う印象を受ける。情景は、場面によってどちらも語る。
演出家が強調したいと判断したであろうセンテンスは、前述の下手スクリーンや舞台後方の壁一面(思えばここにもスクリーンがあったのだ)に大きく映し出される。「私、痛いの、とか、今も痛むの、とか、さっきも痛かったの、とか、」の部分は、原作だと「痛い」と書かれているのを敢えて(だと思われる)「いたい」とひらがなにして映写する。リーディングは主に耳でテキストを聴く作業。直前の状況から判断して「いたい」は「痛い」と「居たい」のどちらだろう? と一瞬思う。次の「いたむ」でああ「痛」か、とは思うが、続けて「いたかった」が来てまた迷う。この解釈にレイヤーを与える演出は面白かった。上手のモニターの後ろにはカメラがあり、場面によってそこへ移動した演者の表情が映し出される。押し入れから白痴が見上げたであろう伊沢の困惑した顔、伊沢が見詰めたであろう脅える白痴の顔。ただひとりにしか見せなかった表情が、観客の前に現れる。
演者は情景描写にちょっと苦心していたようだが、独白や対話となると俄然輝き出す。「怒濤の時代に美が何物だい。芸術は無力だ!」「僕はね、仕事があるのだ。僕はね、ともかく芸人だから、命のとことんの所で自分の姿を見凝(みつ)め得るような機会には、そのとことんの所で最後の取引をしてみることを要求されているのだ。僕は逃げたいが、逃げられないのだ。この機会を逃がすわけに行かないのだ。」言葉たちがリズムが宿る。川口さんの台詞まわしに引き込まれる。それに伴い、序盤ちょっと危なっかしいと感じたト書き(便宜上。独白、対話以外の部分)も乗ってくる。四月十五日に伊沢が見た光景、白痴と逃げた道の情景描写は見事だった。一方藤井さんは白痴のおぼつかない言葉遣いをちいさく澄んだ声で、ト書きは凛とした通る声で表現。朗読と言うものの身体表現もある演出に、“白痴”の仕草を効果的に取り入れていた。
終盤、空襲のなか彷徨うふたりは下手スクリーンの裏側に移動する。スクリーンは白い幕となり、ふたりの影絵を映し出す。白痴を抱きしめる伊沢、「怖れるな。そして、俺から離れるな。」はじめはちょっと手数が多いな、と感じた演出効果が徐々にソリッドになっていき、最終的には役者の肉体と声に集約される。暗転、思わず唸る。一回きりの上演なのが勿体ない、貴重なものが観られてしあわせ。
-----
アフタートークおぼえがき。記憶で起こしているのでそのままではありません。セットはそのままで、椅子を二脚追加。川本さんと山本さんが入り四人で座談会…と言うか、川本さんのお話を皆で聴く感じ。
川本:皆さんお若いけれど、坂口安吾との接点ってありましたか? これ迄読んだことはあった?
藤井:初めてです。名前を知っていたくらいで……
[5]続きを読む
01月07日(水)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る