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by kai
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■『Lost Memory Theatre』
『Lost Memory Theatre』@KAAT 神奈川芸術劇場 ホール

開館三年目の劇場に、この作品の記憶が刻まれる。そこに居合わせることが出来た幸運を嬉しく思う。三宅純『Stolen from strangers』『Lost Memory Theatre - act1 -』『Lost Memory Theatre - act2 -』からの楽曲で構成された舞台。従来の舞台作品と異質なのは、まず音楽ありき、なところ。既に発表されている作品(『Lost Memory Theatre - act2 -』は公演初日の前日にリリースされた)のイメージを劇場に滞在させる。テキスト、役者、ダンサーがその空間に招喚される。

当方三宅さんの音楽には数年ブランクがある。そもそもは窪田晴男絡みで聴くようになったのだが(つくづく私の音楽観は窪田さんから構成されてるな)、1990年代前半に南青山のCAYで開催されていたシリーズライヴ『常夏乃憂ヒ』(このライヴ盤は1995年録音)の衝撃が忘れられない。刷り込みされていると言ってもいい。サイバーパンクキャバレーからモンド/エキゾチカへ。デヴィッド・リンチの映画に出てくる、幻の楽団のようだった。現在モンドな空気は薄れ、とてもゴージャスになった。

しかしこの日、暗闇からゆらりと現れたオルケスタは、やはりリンチな妖しい空気をまとっていた。赤が基調の客席と、紅いカーテンの向こう側。劇場を出たら二度と会えない、幻の楽団。

前方席は数列潰されており、客席と舞台はほぼ地続きになっている。楽屋にあるような照明付きの鏡が四台(五台だったかもしれない)と、さまざまな調度品が配置されている。どれも時間に取り残され、捨て置かれたかのよう。奥にはプロセニアム・アーチと巨大なカーテン。暗転するとノイズが聴こえてくる。一瞬それが意図的なものか、機材トラブルによるものか迷う。続いて聴こえてくるチューニング音と開幕曲。舞台に現れた女優が唄う。しかしその歌声は彼女自身のものではない。音楽の在処を探す。歌手は、演奏者はどこにいるのだろう? やがてカーテンが開き、プロセニアムの奥から平台に載ったオルケスタがゆっくりと現れる。KAATホールと言う劇場とその機構を強烈に印象付ける。二村周作の美術、伊藤佐智子の衣裳も素晴らしい。

失われた記憶、その取り立て人。記憶を買い求める人物。他人の記憶が自分のものとなり困惑する人物。老女優の記憶、ダンサーを目指した少女の記憶。少女と老女が並んで映画を観る暗闇。地上で暮らしていた頃の記憶を懐かしく思い返す青年。あらゆる空間を行き来し、調度品とともにその場所に棲みつくダンサーとバレリーナたち。

ステージにおける音楽の無敵ぶりと、音楽そのものを言葉に翻訳しようと奮闘するテキスト。それを身体に落とし込む役者とダンサー。コラボレーションの難しさも感じた。しかし、音楽に視覚的な顔を、身体を、つまりある姿を映し出すと言う試みは非常にエキサイティングなもの。美波さんのシャープな顔つきとよく通る声、山本さんの立ち姿と歌声。江波さんの声は登場人物たちの記憶を観客の眼前に浮かび上がらせ、森山さんはそれらの記憶をその膂力で繋ぎ止める。四人のバレリーナは声なきコロスのように、存在感を際立たせる。白井さんは狂言まわしよろしく舞台と客席と行き来する。一幕終盤を二階の客席から観ていた山本さんと、舞台上にいた白井さんは観客と同じ通路から退場する。舞台と客席、役者と観客の境界が滲む。休憩時間、ロビーのベンチに座り談笑しているふたりは作品中の登場人物か? 役者と演出家か? どちらも彼らの日常か。

山本さんはその声で音楽に迫っていた。ハンドマイクは必要ないとばかりに口許から遠く離し、歌声を劇場に響かせた。自分の行動を制限するマイクが邪魔になったかのようだった。音響と生の声との境界に、森山さん言うところの(パンフレット参照)「無くした記憶を掻き集める」ではなく「空白の記憶を体験」する。


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08月23日(土)
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