ID:43818
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by kai
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■『太陽2068』
『太陽2068』@シアターコクーン
イキウメが2011年に上演した『太陽』の改訂版。登場人物が増え、構成も若干変更。特にラストは印象的な改訂になっていた。どちらのヴァージョンも傑作だと思うが、「あっちになかったものがこっちにある」「こっちにないものがあっちにはあった」と、それこそキュリオとノクスの関係を見るようでもあった。以下ネタバレあります。
何よりダイナミズムを獲得したことが大きな違い。青山劇場とシアターコクーンと言うキャパと劇場機構の違いは当然演出にも影響を与える。セットは『2012年・蒼白の少年少女たちによる「ハムレット」』(1、2)からの「分断された世界」。アクリル状の透明な床を境に、地下には夜に生きるノクス、地上には太陽の恵みを享受するキュリオの日常を置く。キュリオの生活の場には『唐版 滝の白糸』で使われていた長屋。美術クレジットは朝倉摂、中越司。今年の春亡くなった朝倉さんへの思いもあるのだろう。その長屋で、卓袱台に置かれたスイカを食べるキュリオの家族。無機質な調度品が置かれたノクスの生活空間との対比が、ヴィジュアル的にも強度あるものになっている。
物語も、大きな視点からの強度がある。ゴールドシアターの面々演じる「村の住人」が実際に登場している。これはイキウメ版では出来なかったことだ。具体的に目の前に現れることで、ちいさな共同体の行く末―やがてそう遠くない未来、この集落は絶滅するだろう―をよりはっきりと予感させる。ノクスを差別し鉄彦と森繁を遠ざけ、村に災厄をもたらした克哉をリンチする彼らは、集団としての恐ろしさをより明確にした。後者は特に、初演では鉄彦と克哉の一騎打ち的な面が印象に残っていた(草一もいたが)のでより恐ろしかった。
結果この出来事と理想郷だと憧れていた四国の現状を知ったこと、拓海からレイプされ(そうになっ)たことが、結がノクスになろうと決意するきっかけになる。キュリオと言う種そのものに絶望し、ノクスになってキュリオたちを救済しようと決心するのだ。初演時では父子ゲンカをしたことが直接のきっかけになっていたような印象がある。父親と純子に幸せになってもらいたい、そのためには自分の存在は邪魔だと言う、結の優しさ。克哉が起こした出来事から村を出ることを自分に許さなかった純子もそうだが、イキウメ版は家族の結びつきが印象に残っている。そう、イキウメ版は、円形劇場と言う観客に囲まれたちいさな空間で寄り添って暮らす家族、ノクスとキュリオのぎこちなくも暖かい交流が繊細に描かれていた。
そしてラストの改訂。『獣の柱 まとめ*図書館的人生』からの流れとも言える。初演では朝日を浴びたかどうか観客の判断に任されていた金田は、脱ぎ捨てた服を抱えて退場する。そして鉄彦と森繁は、与太話のように話していた共存の道を探す旅に、本当に出発するのだ。ラテン調の「ホテル・カリフォルニア」(恐らくGipsy Kingsの「Hotel Califórnia(Spanish Mix)」)をBGMに、希望に満ちた歓声をあげ、劇場の外へ、外の世界へと駆け出していくふたり。留まっていてはいけない、行動するのだ。行き着く先が理想郷とは限らない。苦難が続く道かも知れない。しかし、希望か絶望かどちらかしかなくても、それを何かに変貌させるには行動しかない。ノクスは金田が断言したように病気だが、扱いようによってそれは進化になるかも知れない。ノクスになった結の姿を見るのは辛かったが、ラストシーンの鉄彦と森繁が、そんな彼女の新しい道をも開いてくれたように思えた。
そう、「新しい道」を前川脚本と蜷川演出は見せてくれた。役者たちはそれに応えた。あれから三年経った2014年に、それを観ることが出来た。これは大きな収穫だった。初演を、そして今回の改訂版を両方観られてよかった。
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07月19日(土)
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