ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『渇き』
『渇き』(DVD)
時期的に今公開中の邦画と間違われそうですが「。」が付かない方です。原題は『박쥐(コウモリ)』、英題は『Thirst』。2009年作品(日本公開は2010年)。『爆烈野球団!』、『観相師』とソン・ガンホ主演作を立て続けに観て、そういえばガンホさん出演作で気になっていた作品があったなあ…と思い出し。公開当時の広告ヴィジュアルがとても印象に残っていたのでした。扱っているテーマも好みそうだなと思いつつ観る機会を失っていたのでいいタイミング。
果たして確かに好みのテーマ。幕切れも好みでしたが、ホンがかなり混乱しているように見受けられ…これ、まず撮りたいシチュエーションと画があって、その撮りたいものに奉仕するためにストーリーが書かれたのではないかと言う印象を受けました。よって破綻していたり投げっぱなしのエピソードが多い。しかし、その「撮りたいシチュエーションと画」が悉く好み。個人的には憎めない…と言うよりむしろ愛せる作品でした。ひとには勧めにくいけどなあ。
憎めないのは、あらゆる人間は、それが信仰に生きる者であっても俗な生き物だと一刀両断しているから。志願した人体実験での輸血が原因でヴァンパイアになった主人公の神父は、その肉体の変化に伴いあらゆる欲望を感じるようになる…ようでいて、実は違う。彼はそうなる前からあらゆる欲望を抱えている。祈るだけで患者を救えないことへの無力感は自分の信仰の強さを認めてもらいたいが故だ。彼を諭す盲目の老神父も、海を見たいと言う欲望から主人公の血を求めようとする。主人公を奇跡の人物だと崇拝する信者たちも、「何かを(して)もらいたい」エゴから彼にすがる。これらが実に滑稽に描かれるのです。実際ちゃんと笑える演出になっていて、恋する人妻にヴァンパイアだと知られた主人公が「ヴァンパイアだから嫌なのか? 神父だからよかったのか? そういうの関係ないでしょう、神父は職業なんだから!」と迫ったり、意識不明の患者から血液をくすめとる際「彼はひとに食べ物を分け与えるのが好きだったから」と言い訳したりする。聖職者であるが故の苦悩はどこへやら。姦通も殺人も、もはや信仰から起こる罪悪感とは程遠い。
そんな神父が最後にとるふたつの行動。人妻のことを「たったひとりのともだち」と慕っていたフィリピン人の女性の命を奪わなかったこと。奇跡を待ってキャンプをしていた信者の女性を襲ったこと。前者は殺人を犯し続ける人妻を欺くためでもあり、後者は自分のことを奇跡の人物だと信じ込んでいるひとたちを幻滅させ、解放するため。ここで神父の局部を正面から晒したのは、強姦する意志がなかったことを強調するためだと解釈しました。ちなみにこのシーン、日本版にはボカシがかかっている。当時劇場で観た方が感想ブログで指摘されていましたが、ここをボカシてしまうと演出の狙いが伝わりませんね。
欲望の奴隷である人間がこういった行動をとるところに、私は希望を感じる。それが何の救済にならないとしても。「ずっと一緒に暮らしたかった」と言う神父の台詞も、願いや祈りの皮を被った欲望だ。それでもこの台詞には心が動く。愛しさを感じる。
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07月11日(金)
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