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by kai
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■『獣の柱 まとめ*図書館的人生』
イキウメ『獣の柱 まとめ*図書館的人生』@シアタートラム

となっていますがとストーリーが繋がっているものではありません。独立して観ても大丈夫。を観てないから…とこれを逃す手はない。

神経が研ぎすまされる。自分の集中力云々ではなく、舞台上で起こることに惹きつけられてしまう。指先が冷たくなり、喉がカラカラになる。登場人物たちのやりとりに難しいところはない。むしろシンプルで、笑えるシーンも多い。パニック描写を派手な音響や照明で説明することもない。登場人物たちが置かれている状況を、役者たちが的確に観客へと伝える。舞台の外にある場所を、光景を、演出が鮮烈に浮かび上がらせる。見えない光景、見えない表情がある種の恐怖を呼び起こす。この感覚は何だろう?見えていない、体験したことがない筈なのに伝わるこの感覚。何の記憶に結びついているのだろう?経験ではなく、人間の根源的な部分に潜んでいる記憶なのだろうか?この想像喚起力はすごい。SFの器を借りた一見荒唐無稽な出来事が、他人事ではない身近なものになる。恐ろしい状況からなんとか逃れたひとたち(生き残り、とも言える)が新しいコミュニティを作る、そしてひとつの手段を示す。それは救済とも言える。

分断される都市、散り散りになる人々。最低限のコミュニティとは?何をして最低限と言うのだろう。ひとつのヒントとして複数の家族が描かれる。集団が出来上がり、それが崩壊し、また新しい集団をつくる。そこに辿り着く迄の長い長い時間。人間にとっては気が遠くなる程の長さも、(仮にそう呼ぶなら)神さまにとっては瞬きする程度の時間。救済はどのくらい続くか判らない。永遠に続かないことだけは判っている。ドリフターたちの旅は続く。

『太陽』や『狭き門より入れ』でもそうでしたが、立場(種類と言ってもいいかな)の違う登場人物たちが、見えない未来、確証のない将来を前にして何を選択するかが描かれます。自分が出来ることは何なのか。その「選択する者」の役割を安井さん(の役)に託すのは近作の傾向かな。理路整然とした流麗な物言いに潜む違和感、そしてその違和感の根拠を掘り起こし自らを検証出来る強さ。安井さんはこれらを表現出来る、そして色気のある貴重な役者さん。

そして色気があると言えば成志さん。出演が決まったときはどんだけ爆弾よと思ったものですが、誠実に作品に向かい合うストイックな面をしっかり見せてくれました。舞台に現れたのはふたりのキャラクター。新しい都市をつくろうとする思慮深い町長と、ストーリーの元凶とも言える“ラッパ屋”。ラッパ屋は自分が起こした(選択したとも言える)ことのバタフライエフェクトにより、妻とある形で別れることになる。妻を演じる岩本さんとのやりとりは、仄かで深い艶のあるものでした。この夫婦のシーン、とてもよかった。町長とラッパ屋はどちらも葛藤し、苦闘し、傷付いた人物。これらの傷痕は、そのまま成志さんがキャラクターと格闘した痕跡なのかも知れません。だからこそ彼らの未来に光が差すことを祈らずにいられない。そんな魅力的な人物でした。

年代は字幕で示されていましたが、仮にそれを見ていなくても「今、どの時代で、どの場所か。このひとは誰か」を迷うことはなかったと思います。イキウメの特徴でもある時間と環境の入れ替わりを体現する演者の力量が示される。各々の時代を生きるそれぞれの人物が、シーン毎にしっかり立っている。そして今回登場人物たちは病的に「笑う」。自分の意志で笑う訳ではないので、演者の消耗はかなりのものだと思います。感情をコントロールし表現する、役者と言う超人の力を思い知らされました。ひ孫であったり、そうと呼ぶなら天使であったり、いつかは死んでいる、いつ迄もそこにいる?彼らは確かな像を結んで舞台に立っていました。

「御柱様」の美術も見事でした。柱は実在しない。両サイドに設置された壁面の隙間から、細長く暗い奥行きが見える。その隙間は劇場に突き刺さる柱のように見える。「御柱様」は裸の王様が着ている服のようでもありました。人類は何に操られていたのだろう?目に見えない幸福に、また恐怖を感じました。

以下おぼえがき。

・都市と地方の距離感のリアリティ
・読みものとしての聖書

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05月16日(木)
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