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by kai
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■『教授 ―流行歌の時代を、独自の価値観で生きた歌好きの免疫学教授、そして、観念的な恋愛に己を捧げた助手。』
『教授 ―流行歌の時代を、独自の価値観で生きた歌好きの免疫学教授、そして、観念的な恋愛に己を捧げた助手。』@シアターコクーン

この長いサブタイトル、当初は「流行歌の時代とある教授の人生」となっていました。チケットはこちらの表記。アフタートークでも中村中さんはこちらのタイトルを仰っていました。そしてパンフレットを読むと「戯曲に明確な終わりが書かれていな」く、エンディングは稽古の過程から最終的に決定される、とある。個人的には当初の副題に所謂“余白”を感じました。勿論テキスト自体の短さもありますが、決定稿の副題に具体的な説明が加わった分、登場人物に対するこちらの想像力に迷いが生じました。幕切れ、教授とルミの未来を心から祝福しつつも違和感を感じた。決定される前、稽古場ではどんなエンディングが、どのくらいのパターン演じられたのだろう。

まあこれは個人的に、ルミに対して思うところが多かったからで、そこにひっかかるひとがどのくらいいるかは私には判りません。こどもを産み育てる年齢的なリミット。1960〜70年代と言う時代。ルミが教授と過ごした十二年は長いか短いか。観念的な恋愛は十二年で終わりを告げたと言うことか?ルミ、よかったねえと思うと同時に、それでは教授は?教授の献身とは?と言う思いに、石を呑み込んだような気持ちになったのです。観念的な恋愛に、時間と言う壁が立ち塞がる。

勿論作り手側にそういった意図はなく、「こどもがほしい」と口にしたルミの願いは幸せに繋がるものだとしてこのエンディングになったのでしょう。しかし、男性はロマンティストで女性はリアリストとしてしか生きられないのか?と思ってしまった。現実に教授が折れたように感じた。「罪悪感」にまみれ、「殺される価値もない」と凍っていた教授の心が、ルミの強い思いに融かされていった、ともとれます。しかしそうなると、教授の「哲学」は罪悪感に起因した「自分を納得させるもの」としてしか機能していなかったことになってしまうのではないだろうか。

……いや、それでもいいのです。愛にはいろんな形がある。哲学、信念もそう。何をして成就したか、判断出来るものでもない。ただ、こどもがどうこう、と言う話がなければここ迄ひっかからなかったと思う。こどもが装置みたいに思えたところがつらかったです。とは言うものの、子は鎹って言葉もありますし、ものは言いよう。現実はそんなものかも知れないですね。「死ぬときくらいひとりでいたい」と言っていた(『TWELVE VIEWS』参照)スズカツさんがこういう話を書くようになったんだなあ、と感慨深くもありました。ま、これもものは言いようで、死ぬときひとりじゃない人間なんていないのです。

とぶつぶつ書いてますが、そこ以外はかなり好きな作品ですヨ!教授とウエハラのやりとり、教授の同僚たちとのやりとりの活きの良さにはすっかり引き込まれてしまったし、上條恒彦さんの歌声(これ、すごい贅沢!場が変わっての第一声と言う構成も巧い)には魅了されました。そうそう、ウーマンリブが赤旗に繋がるとこはウケた。お兄ちゃん典型的…ここ笑うところかと思ったんですが、誰も笑わなかったわ……。「寄生させてください」なんてギョッとするような台詞を吐き、一歩間違えればちょー押しが強く気味の悪い女性像になってしまうルミを、田中麗奈さんは明るさの奥に寂しさを滲ませる姿として見せていて健気だった。あの子見てると教授いい加減応えたれよと思うわね…ウエハラの気持ちがわかるわ!

中村さんの生演奏と唄も素敵で。衣裳が黒でピアノも黒だから、照明あたってないときでも白い手が浮かび上がって見えて、劇中歌だけでなく劇伴の演奏に入るタイミングも見えて面白かった。教授が愛した歌謡曲、ひとびとの暮らしに寄り添っていた歌謡曲。ああ、それそれ!と「誰もが知っている」歌の行方を、今探しているようにも思えてしみじみ。

あとあのオープニング!『セカンド・ハンド』を思い出したわー。照明の色味含めとても美しかったです。


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02月10日(日)
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