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by kai
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■『金閣寺 ―The Temple of the Golden Pavilion』
『金閣寺 ―The Temple of the Golden Pavilion』@神奈川芸術劇場 ホール
セルジュ・ラモットの原作翻案を、伊藤ちひろさんが宮本亜門さんとのディスカッションによりブラッシュアップした台本で上演。原作をわかりやすく追ってい乍ら、若者三人の物語としての焦点も絞られていました。吃音の溝口、光のように眩い心身ともに健康な鶴川、陰の魅力を持つ内翻足の柏木。しかし光にはやはり陰があり、陰はその力を持って輝く。どちらにも寄れない溝口は、ふたりとは違うと言うことを行動で示す。三人を演じるのは森田剛、大東俊介、高岡蒼甫。当て書きか!と言うくらいのハマりよう。
森田くんはひとの目を惹き付けるアイドルとしての星を背徳へのベクトルとして輝かせる。このひと『IZO』も『血は立ったまま眠っている』もそうだったけど、命を懸けて信じたひとやものごとに裏切られる孤独な寂しい少年と言う姿が似合う。惑いの経過を少年が青年に変貌する姿と重ね合わせられる、ある種年齢不詳な魅力も持っている。大東くんは絵に描いた好青年の印象を打ち出しつつ、他の道を歩みようがない人生や、溝口との関係性について思いを巡らす場面でほの暗さを随所に滲ませる。高岡くんは身体の障害と引き換えに、悪を理路整然とした言葉に変換する弁を手に入れ暗躍する人物像を魅力的に演じる。
それにしても昨年末観た『M』でも思ったけど、三島の文学世界を可視化すると如何にトンデモないものになるかと言うのがよく解った。文字だと三島のその、言葉で描写出来ないものなどないのではないかと言う技量で何もかも美しく表現されているけど、実際に具象化すると笑える場面も多い。そこらへんの突っ込みどころも押し出しが強く、見所になっています。亜門さんもそこのところ覚悟のうえで、明確に提示したようです。『M』の文脈からしても鶴川=聖セバスチャンの象徴だし(その彼が実は…と言うところがまた三島の願望成就にぴったり)、男性同士のエロティシズムは避けようがない。そして女性の扱いが酷いわ〜、流石三島(笑)。溝口の憧憬と憎悪の対象でもある複数の女性たちを、ひとりの女優が演じる仕掛けもよかったな。中越典子さん。ヤな女だったり母のようだったりと様々な女性を演じ分けていました。上手い。
演出も挑戦的で、やりたいことをとことん詰め込みましたと言う感じ。あとこれは亜門さんがどこ迄意図したか判らないけど、新しい劇場のプレゼンテーションにも見えました。天井の高さや奥行き、裸舞台の空間をまるっと見せる。今後この劇場をどう使うか、観に来た演出家のディレクション心をくすぐるような仕掛けをも感じました。意識してやっていたとしたらすごいサービス精神。寺山修司を思わせるアングラ的な表現がありますが、方法論の交通整理はしっかり出来ているので、観た印象はスッキリしています。そう要素はてんこもりなのにスッキリ見えるってのは見事だわ…難解と思われがちな三島作品の見せ方としてすごいなあと思いました。思えば昨年森田くんは寺山修司作品に出たんだったなー。
学校の技術室のようなセットで、机や椅子を駆使して場を作る。黒板や天井近くの空間に映像を照らし、移動や心理描写を反映させる。寺の畳や、溝口と鶴川が腰を下ろす白詰草が咲く野原、金閣寺を包む炎といった照明も美しかった。朗読部分や登場人物のモノローグにはマイクを使用し、該当人物ではない出演者がそれを語る部分もある。代わり映えしない日常の繰り返しは、リズミカルな音楽(福岡ユタカさん!)に載せた小野寺修二さんによる振付でシステム化されている。場面転換は主に大駱駝艦の面々が行い、ときにはその身体をも装置として提供する。階段と化した舞踏家たちの上を溝口と鶴川が踏みしめてあがっていく場面等で、身体が作り上げる舞台と言うものを意識させる。
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02月12日(土)
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