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by kai
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■塚本晋也お蔵出し『海獣冒険譚』(1999年)
1999年11月3日
日本大学芸術学部 芸術祭
TSUKAMOTO SHINYA IN SPECIAL TALK EVENT『海獣冒険譚』@日本大学芸術学部江古田校舎大講堂

塚本氏の母校日芸でトークイヴェントが開催!と言う事で江古田校舎迄行って参りました。日芸の後輩が監督のプロフィールを追いながらインタビューをする形式で、途中参加者の質問コーナーを挟み、各作品の予告編ダイジェストも上映されました。その様子を超ダイジェストでお送りします。テレコ録ってないので自分の記憶だけが頼り。言葉の細かいニュアンス等違いがあると思いますが、話の流れは忠実になる様心掛けましたのでご容赦下さい。

●ご自分の作品をカルトエンターテイメントと呼んでいますが、これはどこから思いついたのですか?
「CMの仕事をやっていたので、クライアントとか大勢の人からいろいろ言われて、自分のやりたい事が出来なかったりして。それがイヤで『鉄男』を作ったんです。で、その『鉄男』を作る時に、あのーほら、つまらないもんを延々観せるだけとかってあるじゃないですか、人が寝てるのを一晩中撮ってずーっとそれだけとか。そんなのを実験映画とか言ってさあ…まあいいや(笑)そういうのはやりたくなかったんで、エンターテイメントをやりたいって思って」

●高校から絵画を本格的に学び始めたそうですが、それは何か目的があっての事ですか?
「もともと絵を描くのが好きだったし、父親も絵を描く人で、絵を基本にしておけば映像とかデザインとかいろんな事をやるのに役立つぞとサジェスチョンしてくれたと言う事もあります」

●絵ってひとりで描きますよね、
「そうですね…って、普通ひとりじゃないですか(笑)ふたりでこう…うーんとか言って描いてたらちょっと(笑)」

●いや(笑)自主映画って言うのもひとりでやるじゃないですか。撮影も、編集も…絵画からの影響があるのかなと思って。
「ああ、そうですね。自主映画ってひとりで絵を描く作業に似ていますね」

●しばらく映画作りを休んで、野外でテント芝居をされていましたよね。演劇の方に映画とは違う可能性を見出したとかってあります?
「演劇と言うより…パンクなライヴを芝居でやりたい、と言う思いでしたね。外で大暴れしたかったんです。それでテントを張って…日芸の中庭でもやりましたけど。建築学科の人に段ボールで作るテントの設計をして貰って、でっかいのを。学祭とかじゃなくて、普通の、平日にやってましたね。あの、中庭にテントが張ってあるの、学食から見るとシュールでしたよ(笑)でもいっつもギリギリ迄準備やってて、告知とか出すの遅れて、ぴあに載っても欄外の小っちゃいコーナーで。だから人はあんまり来ませんでしたねー」

●学校の外でもやってましたよね。高田馬場駅のすぐ近くにテント張って上演しているのを『塚本晋也10000チャンネル』で観たんですけど、大変ではなかったですか?テントを開けるとすぐ横が線路で、騒音とか、学校以外の場所を使う為の交渉とか、近所からの苦情とか、困難な事はありませんでしたか?
「いや、それはあまり苦になりませんでしたね。やっていた演目がSFの、未来に行っちゃう話とかだったんですけど、上演途中でテントが開くと外が思いっきり現代の高田馬場で、そこで真面目なお客さんとか興ざめしちゃったりするって事はあったかもしれないけど(笑)自分達は楽しく(笑)さっきも言ったけれど、外で大暴れしたかったので。大人になるとどろんこ遊びが出来なくなる、でもしたい(笑)でもホントに大人が外でどろんこ遊びをやったら、それはヤバい人になっちゃう(笑)それなら芝居で、と言う感じだったんです」

●CFの仕事をしながら、芝居をされていた時期がありますよね。二足のわらじは大変ではありませんでしたか?

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05月03日(月)
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