ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『トーチソングトリロジー』楽日
■ジェイミ終了後
ほうほうのていで帰宅して、おふろでガーと寝て(結局また寝ている)何となくシアテレつけたら『はたらくおとこ』やってて、それ観乍らうとうとしてたらすんげーうなされた。長塚くんのバカー!(言い掛かり)

■ところで
この「ほうほう」って何。と調べたら「這う這うの体」って書くんだね!成程ー!(学習)

■で、
翌日観た『トーチソングトリロジー』で、ラジオのDJの声が妙にエロい美声だったのであれーと思ったら、池田ナルシーでした。いやあ、ステキな声ですわねえ

■ところで
来年の阿佐スパの新作、「あの男たちが再集結!」とかって書かれてましたが、どの男たちですか。勝手に4〜5人予想してますが、当たってますか(と言いつつ書かない)

■まー
しばらくはこの体調が続くんで、慣れるしかないな

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『トーチソングトリロジー』@PARCO劇場

いつの間にやら楽日ですわよ。結局楽日しか観れませんでしたわよ(泣)

はーそれにしても保湿液のような作品でした。じわーっとね。心にうるおいがねー。まあうるおいだけでは済みませんが。でも人生こんなもの。困難はいつでも付きまとう、しかしそれにはちょっとした滑稽さも付いてくる。愛している、でもまだ充分じゃない。充分になったら?死んじゃうんじゃないかな。

映画化もされており、名作中の名作として知られているものですが、それを“ニュー・スタンダード”シリーズとして上演する意義みたいなことをちらっと考えました。名作なのは周知。何故名作なのか?普遍性があるからだ。

初演された80年代はゲイがやっと自分のことを語り出した、語れるようになってきた時代だった。その後AIDSの存在が大きく影を落とし、また新しい壁が出来る。環境はどんどん変わる。それでもこの作品が現在に伝えるものは沢山あり、だからこそ多くの観客に愛されるのだと思う。

50、50、70分の3幕。膨大な台詞量。しかし体感時間は短かった。会話の中に自分を見付け出すことが出来るからだ。セクシュアリティのことだけではなく、愛しているひとのことを思う、求める気持ちには共通するものがある。

しかしこの会話に乗り切れなければかなりツラいんじゃないかな。台詞を操る役者の力量をかなり頼りにするものだと思います。その点では、篠井さんと木内さんがズバ抜けていました。アランとローレルがちょっと見えづらかった。かわいらしくN.Y.のゲイたちに愛されたアラン、しかしそれには売春も含まれる。自分を家族として迎え入れようとしたアーノルドに対し、アランはどんな思いを持っていたのか。そして愛するひとが何故かゲイとバイばかりになってしまうローレル。彼女がアーノルドと会うことにした思いの裏にあるものは?そこらへんをもう少し明瞭にしたかった。

その後アランはホモフォビアの若者たちに無惨に殺される。舞台上ではそれは描かれず、第3幕でアランの不在を不思議に思う観客に、さりげなく会話上で伝えられる。アーノルドは母親に、アランがどんなふうに死んだのかを伝えていない。信仰や慣習、そしてそれを信じる自分にしっかりとした意志、自信がある母親とアーノルドはなかなか解り合えない。しかしふたりの間には親子の愛情と言うものが確固としてある。言い争いは、互いが「自分の人生から出て行ってもら」いたくない故だ。口論は熾烈を極める。互いを拒絶せず、とことんやりあうからだ。

終盤、アランがどうやって死んだかを知った母親がある言葉を口にする。ここで、ほんの少し前進が見られる。

ふと『イヌの日』の台詞を思い出した。「だって、お母さんだよ!」。現代は、この言葉すら不確かだ。それでもそんな愛情を信じている、信じたいと思い続ける気持ちがこの作品の普遍性に思える。


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12月07日(木)
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