ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『欲望という名の電車』
シアターコクーンオンレパートリー2002
『欲望という名の電車』@シアターコクーン
ロビーで伊藤さんの話をしているひとがいる。もうそれだけで泣きそうになる。ここ数日は2ちゃんねる見て泣くくらいだったもので…。やばい、情緒不安定な時にこの作品はキツい。しかし千秋楽だったので、カーテンコールでかなり場がくだけてなんとかなった。役者さんが、役から離れた顔を見せてくれたので。大竹しのぶさんがぴょこぴょこ跳ねて客席に手を振ってくれた時は本当に嬉しかったと言うかホッとしたな。ほら大竹さんイタコ女優((C)永瀬正敏氏)だからさ…あのまま終わったら打ちのめされっぱなしです。
と言う訳で大竹さんに尽きる。凄まじいブランチを見せてくれました。ここ数作舞台では最終的にオカシクなる役が続いている(マクベス夫人、高村智恵子、ブランチ)のは何故なんだ。神経がずっとピリピリし通しで、どっちに転ぶかわからない不安定さはちょっとした仕種にも目が釘付け。姿勢を変える余裕もなく、翌日筋肉痛です…凄いもんを観ると、こちらの身体も酷使することになる。ラストの退場シーンでは客席のあちこちからすすり泣きの声が。反面笑えるシーンも満載で(テネシー・ウィリアムズの作品って親子とか兄弟のやりとりが面白いんだよね)、観客をひきつけ通しでした。優れたコメディエンヌはどんな役も出来る。ここでまた伊藤さんを思い出したけれども。
スタンリーも健闘。堤真一さんは脱いだり着たり脱いだり着たり脱いだり着たりで鍛えられた身体を見せつける。まずそこでアピールしておかないと、ブランチとの対比が出ない。荒っぽい言動、それでいてステラに甘える時のコドモっぷりの落差は面白かった。堤さんも役に全身全霊を傾けるタイプの役者さんなので、舞台仕事が入ると目に見えて痩せるし、後半戦になるとやつれて目がギラギラしてくる。今回は肉体維持の方も相当大変だったんじゃないだろうか。とはいえ観客はそんな事知ったことではないし、舞台の上での結果が全て。「役者は超人でなければならない」と言うのは、ある意味正しい解釈だと思う。
しかし皆さんケガが多かったらしい。あれだけ激しい動きがあるからね。堤さんも初日にセット壊したらしいし(笑)大阪公演が終わる迄大きな事故がありませんように。
蜷川組の装置、照明、音響は毎回申し分ないのだが、最高レヴェルのものを見せてくれた。ひしめいたアパート街を表現する為だろう、今回は得意の奥行き使いを封じている。客席にせり出してきそうなぎゅうぎゅうのセット、ブラインドから差す陽光(劇場に入った時点で「ああ、来てよかった!」と思える美しい照明だった)、大音量で流れるニューオーリンズ・ジャズとトランペットの生演奏、歌い手の生歌。生命力溢れる街の音、人間達の息吹が伝わってくる。蜷川さんは死への美意識がとても高く感じられるのだが、その分生きる喜び(勿論その陰の部分も含め)も伝えることを忘れないひとだなと思う。
ブランチの幻聴となるポルカ(ワルシャワ舞曲)や銃声は、幻聴だけに実際には鳴らさないでもいいっちゃあいいのだが、戯曲に忠実なことを絶対条件とする蜷川演出ではそこもキチンと再現しており、その音響が結構ゾワッとする巧い編集をしていた。特にミッチと話している時に幻聴を聞き出したブランチが「銃声が鳴ればこの音は止む」と言った時に鳴る音は凄かった。怖かった。
脚本に関しては、すまんこれ本当に個人の好みなのだけど、小田島雄志氏訳を読みつぶしているので、今回の小田島恒志氏訳(雄志氏の御子息ですな)は違和感があった。普通の口調を心掛け、「ブランチ」を「姉さん」にしたとの事だが、ブランチは歳を異常に気にしているので(ミッチに「私はステラより年下だ」と迄言うくだりもある)「姉さん」とは呼ばれたくなく、ステラに名前を呼ばせていたのではと言う解釈も出来るので、これは疑問。それと同性愛者の表現を何故あんなに遠回しにしたのだろう。現実に押し潰されるブランチ、と言う図がぼやけてしまう。ここらへんも疑問。
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05月30日(木)
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