ID:43818
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by kai
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■『私を探さないで』
『シブヤ〜』初演時、蜷川さんに徹底的にシゴかれたのが勝地さん(と蒼井優)。かなりペシャンコにされたそうだが、どちらにも手応えがあったのだろう、ここから勝地さんは何作も蜷川演出作品に参加する。しかし岩松作品に勝地さんが出る機会はなかなか訪れなかった。調べてみると、再会は2019年(『空ばかり見ていた』)のようだ。随分時間がかかった。果たして勝地さんは、岩松さんの書く美しい言葉を消化+昇華する力をつけていた。自身のものとして血肉化しないと、あの台詞群をああは語れないものだ。それは理解とは別物だ。他者に振り回される男が発する、迷い、惑い、抵抗と諦観の言葉の数々。

個人的には蜷川さんの追憶とともに今作を観てしまったようなところもある。というか、岩松さんの作品を観る度、いや、どの劇作家の作品でも、「蜷川さんならどう演出するかな」と思ってしまう。これはもう病に近い。少しの罪悪感と、それでもいいという開き直り。『シブヤ〜』のマリーも、『私を探さないで』の晶も、追憶のなかに生きる岩松作品の女性たちは、それでもいいといってくれるだろうか。

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・岩松了が“具体的な美術ではなく抽象に挑戦した”「私を探さないで」幕開け┃ステージナタリー
この舞台に関われて幸福ですが、観客として観たい!と願うも、それは叶わぬ夢。
みなさま、どうか私の目となり耳となりこのお芝居を存分に楽しんでください。
小泉さんのコメントが素敵。舞台を観ることが出来るのは観客だけなのだ

・もう一度観たいあの舞台 Vol.3 杉原邦生・北尾亘が10年を振り返る┃ステージナタリー
そこに〈演出家の不在〉を感じなかったことへの衝撃が大きい。〈演出〉という仕事は具体的に目撃したものや体感したものの印象が残りやすいけれど、実は、作品を満たし、上演中に流れているもの、あえて言葉にするならば〈空気〉のようなものにこそ、演出家の作家性が現れるのではないかと思っている。だからこそ、演出家の鼓動と息吹が消え、遺された作品やその上演から僕たちは、否が応でも演出家の〈不在〉を感じ取ってしまうのだと思う。では、なぜ蜷川さん亡き後に上演されたあの「海辺のカフカ」では〈不在〉を感じなかったのか。
とても好きな作品だけれど、「もう観られなくて良い。観られないから良い。」と思っている自分もいる。それが舞台の良いところだから。
おまけ。この連載、とてもいい企画だなー。杉原さんは『海辺のカフカ』を挙げている。
私も「もう観られない」ことが舞台の素晴らしさだと思っている/思いたいけれど、蜷川さんの作品に関してはまだその境地には至れない。今でもずっと、蜷川さんの舞台を観たいと思っているし、観られなくなったことに打ちのめされている

11月01日(土)
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