ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『マクベス』『ずれる』
音楽は東儀秀樹。スコットランドから日本へ、バグパイプにも通じる音色の篳篥が悲劇と喜劇を彩る。雅楽アレンジのなかにメタルなギターが入ってくるところも東儀さんらしくて面白かった。

余談。ベトナム戦争終結50年ということで開高健の『輝ける闇』を再読中なのだが、『マクベス』の森に触れている箇所が出てくる。「森そのものが流れ、移動し、包囲している」。その後開高は森についてこう書く、「熱帯は冷酷なまでの受胎力にみち、屍液も蜜も乱費して悔いることを知らない」。

想像する。森は敵も味方も覆い隠し、夥しい数の死体は葬られることなく置き去りにされる。誰かの記憶に残るならまだいい、「彼はあのときここにいた」と伝える役割が存在し、生き残ったということなのだから。誰にも気づかれないままの骸は、森の住人=動物と植物の糧となる。まーた戦争か、ずーっと戦争か。こいつら戦争ばかりしよる。ただの肉となった人間を綺麗さっぱり呑み込んでくれる自然は、人類にうんざりしているだろうか?

「眼前の恐怖より想像の恐怖」により戦争は起こる。恐怖のあとには死体ばかりが残る。

お参り

[image or embed]— kai (@flower-lens.bsky.social) May 18, 2025 at 2:26
5月だからか(祥月命日は5日前)普段よりお花が多く、新緑の森のようだった。蜷川さんが描く森、大好きだった

・そういえば照明が原田保/原田飛鳥となっていたけど、飛鳥さんは保さんのお子さんかな

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イキウメ『ずれる』@シアタートラム

ADが鈴木成一さんじゃなければこんな細い罫線出ねえよって印刷所からつっ返されそうな宣美。写真は水谷吉法さん。イキウメ『ずれる』、センスオブワンダー極まってました。これでしばらくお別れ、さびしいけどこれからも楽しみ

[image or embed]— kai (@flower-lens.bsky.social) May 17, 2025 at 22:13
このデザインにこの印刷、そして用紙の選択。光を反射する紙で、どの角度から撮っても何かが写り込んでしまう。かといってwebにある画像は“これ”とは違うもの。“現物”を観る演劇を表すかのような、宝石のような宣美。そして上演された作品も、宝石のような演劇だった。今作をもって定期公演はひとまずお休み。そんなこともあり、うわーイキウメの集大成ー! という思いと、うわー休止前にこんなのをやるかー! という思いで胸がいっぱいになってしまった。以下ネタバレあります。

光に包まれる通路(シアタートラムのここ、偏愛してる)を抜け、劇場へと足を踏み入れる。客席に向かって45°で設えられたリビングが目に飛び込んでくる。見上げた天井には水槽。空間認識がバグる。美術はお馴染み土岐研一、最高! イキウメの作品は、こうして現実から虚構へと観客を招待してくれる。観客もそれに応えたい。この日は開演数分前からもう客席が静かだった。客入れのBGM(音楽はお馴染みかみむら周平、今作のためのオリジナル)に聴き入る。これから舞台上で起こることを楽しみに、場のコンディションを整え「待つ」空気があった。鴻上尚史いうところの“第三舞台”の出現を待つかのよう。

この世界に生きる葛藤がある。この世界に人類は不要だという確信がある。新しい命を「こんな酷い世界に招待するのは忍びない」という選択を否定しない。しかし生まれてきたからには生きるしかない。だからこそ、諦観はあくまで楽観的に。死は終わりではなく、違う場所へ移動するだけだという感覚をもち、トライ&エラーを繰り返す。トライし続けるタフネスがある。金輪町は災害に見舞われ、山鳥と時枝がやってくる。お馴染みの地名、お馴染みの人名。彼らは何度でも舞台で生まれ変わる。

理詰めのセンス・オブ・ワンダーは、今回かなりスピリチュアルへと寄っていた。こう書くと随分気難しい印象を持たれるかも知れないし、胡散臭いと敬遠されてしまうかも知れない。しかし、舞台に載った彼らはとても愉快で軽やかなのだ。バイアスを取っ払うことに関しては他の追随を許さないこの集団は、淡々と、ツッコミを駆使し、ときにはボケにボケで返して世界の不条理を追究していく。今回は「あれは搬送先が決まらないんだな」が大ウケだった(笑)。阿吽の呼吸、絶妙な間合いで行き交う言葉。


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05月17日(土)
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