ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■梅田哲也展『wait this is my favorite part 待ってここ好きなとこなんだ』1期
暗い場所に入る度、お子さんが「こわい〜」とちいさな声でぐずり出し、父親(だろう)が大丈夫だよと抱っこする。次第に他の大人たちも「怖くないよ」と励ますようになる。空地に置いてあったポットと紙コップ(さっきおじいちゃんが運んでたやつだ!)を見つけたひとりが「…こういうことですよね?」とポットからお茶(だった)を注ぎ、皆に配る。ポットの横にあったもの、おやつですか? と訊いてしまった自分の食い意地に我乍ら呆れる(恥)。地図を見せてくれた人物が話していた、空地で育て、ねずみが食べてしまっているという熟れきった胡瓜だった。まあ、ある意味おやつだな。人間が食べたらちょっと衛生的に危ないけどな。

「いやあ、改めて見るとすごい一等地ですよね……」。ひとりが呟き、ほんとほんとと頷き合う。この空地もワタリウムのものだというのは、過去の展示を通して知ってはいた。しかし、何故こんな、分割された地形を所有しているんだ? と思っていた。土地を分けているのは東京都道418号線、「青山キラー通り」といった方が通りが良いだろうか。前の東京オリンピック(昭和39年=1964年)前に整備された道路だそうだ。つまり、この土地はかつて繋がっているひとつの場所だったのだ。

美術館と空地は糸電話で繋がっている。美術館側にいるパフォーマーが手を振り、通話口を指差す。「あ、何か喋ってる!」順番に耳を近づけるも、何をいっているかは判らなかった。間もなく、同じパフォーマーから終了だよ、というようなジェスチャーを送られる。糸電話の痕跡を確かめ乍ら渡る横断歩道、そのとき見上げた青い空は頭の中だ。参加中のスマホ等の撮影は禁止されていた。

梅田哲也さんの作品でもあるこの「時間の地図を描く」行為は、こうして来場者の記憶に刻まれる。ワタリウムがプライベートミュージアムとして開館したのは1990年。自分が東京に住むようになってからの歴史とほぼ重なる。何度来館しただろうか。展示を観ないときでも、1階と地下1階のON SUNDAYSにはしょっちゅう行っている。あの場に足を踏み入れることで、アートが身近な存在になる体験を何度もさせてもらっている。再びこの美術館を訪れたとき、今日の記憶はまた新しい親しみを湧き上がらせてくれるだろう。2期も楽しみにしている。

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・それにしても事務所に貼ってあったスナップショットが豪華だった。アンディ・ウォーホール、ナム・ジュン・パイク、坂本龍一、浅田彰、篠山紀信……見入ってしまった。故人が多いことにせつなくなる

12月29日(金)
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