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by kai
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■『野火』展、KUNIO12『TATAMI』
太田省吾の『更地』からインスパイアされた企画だそうで、KUNIO10『更地』を観逃したのが悔やまれる。イキウメの大窪人衛が出ていたこともあって迷ったんだがやはり京都迄行けばよかったヨーと言っても後悔先に立たず。しかし太田さんが『更地』書いたのっていくつのときよ……と調べてみたら、初演は1992年だった。太田さんは1939年生まれだから53歳くらいか。柴さんは1982年生まれだから今年33歳、その老成っぷりにゾワーとなると同時に、そもそもこのひとは二十代で『わが星』を書いたひとだった、人間どころか星の一生を眺めたひとだった。納得もする。当日配布のパンフレットで、杉原さんは「絶対に叶わない願いだけど、太田さんに観て欲しいな、と思ってしまいます」と言っていた。太田さんは2007年に亡くなっている。

「TATAMI」には畳と、人生を、世界をたたむことの意がある。畳は日本人のくらしと縁の深いものでもある。死の際、横たわるのも畳。とは言うものの、今となっては畳のうえで死ねるひとは少ない。家をたたむ、所持品をたたむ、家族をたたむ、自分自身をたたむ。内容としてはかなりキツいものなのだが、問答のように進められる会話は、試合巧者の演者たちにより、小気味好いと言ってよい程のリズムで進む。観客席からは笑い声さえ起こる。男1(父)武谷公雄と男2(息子)亀島一徳のリズム感がとにかくいい。途中加わる男3(ヘルパー)森下亮、男4(男の姿を借りた母、息子の息子)大石将弘の声のトーンがまた心地よい。シュールな設定とも言えるこの物語に序盤は戸惑うが、やがてそれらが確固たる劇世界によってあたりまえのことのように見えてくる。

何故杉原さんを鳥瞰気質と思うかはその空間認識能力に毎回驚かされるからなのだが、今回もある種フリースペースであるKAATスタジオを、その機構丸ごと舞台として見せる。更地に置かれた畳一畳、それをとりはらうと蛍光イエローのフロア、中央に「TATAMI」のロゴ。そして演者が手作業でバトンに結ぶ巨大で真っ白なバックドロップ、そのバックドロップが宙に上がっていく時間。空間と時間を強く感じさせるその演出は記号としてのものだ。その記号が観客の想像力を強く喚起する。空間は人間のくらす場所、時間は人間の生きる長さ。その広さ、あるいは狭さに一喜一憂。

ラストシーンの演出も極めて記号的。ひとりの人物に舞い降るきらめき。それは息子が父を訪ねていく夜道に輝く夜空であったり、一瞬で消えていく命の光でもある。杉原さんのアイコンでもある、ミラーボールの破片のようでもある。それは不思議と、人生への祝福に見える。記号は見立て。演劇のすごいところ。そしてここでこの演出を持ってくる、杉原さんの底の知れなさ。

柴作品としては極めて珍しい男芝居は、杉原さんから「柴作品は女の子の描き方が印象的。だから男しか出てこない作品を書いて欲しかった」と言うリクエストに応えてのものだったようだ。『わが星』好きなひとも観てみるといいよ、いきものの一生についての話ってところは変わらない。こまかいところだが、結婚する相手を「男か、女か、」と訊く父のシーンがあまりにも自然で好感を持った。それがあたりまえの時代になっている、と思えた。

それにしても武谷さんの巧さな……そして森下さんはベビーフェイスと長身のギャップが激しいので、舞台で全身を見るとハッとする。ヘルパーの衣裳がとてもよく似合っていた。観ていないひとのために説明すると、ヘルパーの服は一般的に想像するものとは違い上下黒、細身のライダーズジャケットに革のパンツ。ファニーな抑揚のない声で彼が語った未来の夢、「飛行機になってみたいですね」。今でも耳にこびりついている。

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・KUNIO12『TATAMI』前半
戯曲が公開されています、後半は来場者限定(要パスワード)。上演台本とは違うもので、このホンからあの演出が、演者たちの息遣いが生まれたのだなと思い乍ら読む

08月29日(土)
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