ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『教室』
時折発生するくるみちゃんの予想外の反応が、お芝居と現実の境目を崩していく。具体的にひとつあげると、幼少時の自分の写真をスライド投影し「先生もこの頃はかわいかったんです」と言う飴屋さんに、「今もずっとかわいいよ」とくるみちゃんがぼそっと応えた場面。飴屋さんは一瞬言葉に詰まり、相好を崩す。しどろもどろになって「そ、そう、ありがとね」と応える。客席からは笑いが起こる。舞台上では予想外のことだろうが、くるみちゃんとしては素直な反応なのだろう。彼女は普段から、飴屋さんのことをそう思っているのだろう。
コロスケさんは、立ち止まり目が合った通行人に、「こんにちはー」と挨拶する。故郷である下関の光景、朝起きて登校する迄の様子が、彼女のモノローグによって瑞々しく描写される。娘を見守り、パートナーを見詰める表情は優しげだが、そこから真摯な光が消えることはない。終盤の飴屋さんとの対峙はとても厳しい場面だが、そこから生後三ヶ月の赤子の記憶―それはくるみちゃんのことでもあるし、コロスケさん自身のことでもあるように感じた―を語る彼女の声には、静かだが揺るぎない強さがあった。彼女の母親であり、彼のパートナーであり、そして何より、コロスケと言うひとりの人間の強さ。
三人とも素敵な声。と言うか、この人物にはこの声だ、としか言いようのない声。この声で、彼らはお互いの思いをやりとりしているのだ。耳に残る。
くるみちゃんが初めて喋った言葉は「あめ」だった、と言うエピソードがある。この日はそのシーンのあとざあっと通り雨が来た。SNACがあるのは東京都江東区三好。劇中に出てくるように、コロスケさんの名前は三好愛。飴屋さんのお父上の遺骨は『わたしのすがた』や『武満徹トリビュート』を通し、きっと少しずつ減ってきている。終盤yanokamiの曲が流れた。FISHMANSの「SLOW DAYS」は戯曲に明記されているが、これにはふいを衝かれた。この日はハラカミくんの命日だった。ハラカミくんもさとしんくんも、今はここにはもういない。「ナイーブな気持ちなんかにゃならない 人生は大げさなもんじゃない」。
観たのはマチネだった。終演後しばらく雨宿りをして、近所の都現代美術館に行き、展示を観る。同じ道を帰ってきたら、SNACから飛び出してくる飴屋さんが遠くに見えた。ソワレが始まっているらしい。飴屋さんは電柱にしがみつき、ミーンミンミンミンと鳴く。ああ、あのシーンだ。静かな商店街に、その声が響き渡る。通りの向かい側、その光景を眺めて通り過ぎる。今度は自分が借景の一部だ。あちらからはどう見えたのだろう。
どこから演出か、どこからハプニングか。観客は判断出来ない。これが、「2014年・東京・清澄白河 SNAC」の『教室』。
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・特集 飴屋法水インタビュー|大阪国際児童青少年アートフェスティバル 2013 TACT/FEST『教室』- 演劇ポータルサイト/シアターガイド
初演時のインタヴュー。「演劇はどこまで行ってもドキュメンタリー性が残るものだと思っているんです、あえてドキュメンタリー演劇なんて言わなくてもね。」
・TACT/FEST 2013:ジャーナル『厳格な平等主義者の壮絶な授業。』
徳永京子さんによる初演レポート
07月27日(日)
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