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I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■やなぎみわ×劇団唐ゼミ☆合同公演『パノラマ ――唐ゼミ☆版』
なんとか辿り着きました。廃校かな?旧小学校と書いてあったけど、校庭ではサッカーの練習してる子もいたので施設としては使われている様子。ロビーには、たけうちにいた音楽隊。劇場は体育館でした。小学校のだからちっちゃめ、バスケットゴールとか低い感じ。体育館ってすごく広いイメージがあったけど、こっちが大きくなるとサイズ感が変わるなあ。ストーブがたかれていて暖かい。FAにフォルマント兄弟・三輪眞弘さんの「6人の当番のための『みんなが好きな給食のおまんじゅう』」初演。給食配膳着を着た男女がおたまを筒型のスティックで叩き、曲を演奏。筒の長さが違うので音程がつきます。気持ちのよい音色です。リズムがカチッと合わないのはご愛嬌…にしても、なんでこうもズレるか?と見ていたら、多分あれだ、利き手でおたまを持ってるからだ。おたまは固定で筒を叩く(=演奏する)手が利き手じゃないからだ。余計なお世話ですが逆のがよかったんじゃ…それともこのズレこそが狙いなのか?気になる!

いつの間にかストーブが消され、底冷えがじわじわ迫ってきました。かわいらしい顔をした青年が露店を背負い登場、洗濯バサミでぶらさげられている紙片を自作の詩だと言って売り始めます。開演です。

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明治23年に輸入され、一世を風靡したパノラマ館。円形の建物中央の展望台から首を出し、360°の風景をぐるりと観ることが出来る。戦争画が主に扱われ、観客は現地の様子をその絵によって窺い知る。映画の台頭により二十年弱で衰退、あっと言う間に姿を消す。萩原朔太郎『日清戦争異聞(原田重吉の夢)』をモチーフに、パノラマ画を描くふたりの絵描き、日清戦争の英雄・原田重吉、その謎を追う詩人が時間を超えて言葉を交わす。

2012年初演の作品の改訂版。当方『ゼロ・アワー』がやなぎさんの演劇作品出発点なので遡って観ていることになりますが、作風と言うか色がうっすら見えてきたような印象です。で、こりゃ大好きだ!と確信。今後は美術作品だけでなく演劇作品も観ていこうと決める。

綿密な取材から構築される、確固とした世界。対立あるいは切磋琢磨するふたりの人物、そのきっかけとも、モチベーションとも言えるひとりの人物。複製・増殖し稀薄になっていく存在と、それを追う存在。抹消あるいは捏造された歴史、そして薄れていく記憶。優れたストーリーテラーであるやなぎさんの美術作品で常に感じられるこれらの要素は、生身の人間が動く演劇作品でも観る者の興味と関心を惹き付けていく。ミステリとしても観られる。本当の原田重吉は誰なのか、パノラマ画の玄武門は果たして本当にあったのか。誰もその現場を見ていない。富と名声に惑わされ名乗り出る幾人もの原田がいれば、有名税に押しつぶされ身を滅ぼす原田もいる。メディアはこぞって原田を探し、原田と言う人物をでっちあげる。どの情報を事実として描けばよいのか、絵描きは惑う。葬られていく名もない人物は、暗闇のなかへ消えていく。

勿論ヴィジュアルは申し分なし。今回美術を中野さん、衣裳をやなぎさんが担当したそうですが、くすんだ装置と鮮やかな衣裳の色の対比が目に焼き付きます。蛸の帽子かわいかったわー。新聞屋の男が最後に見た光景はどんなものだったのだろうとふと思う。イキのよい役者たちが躍動する。体育館にパイプ椅子を並べた会場の通路を、大小さまざまな装置を担いで走り回る。皆ツラ構えがよいわー。唐ゼミ☆鑑賞は二回目なれど、あ、こないだアリダ役だったひと(西村知泰さん)だ!とか、お甲(禿恵さん)だ!とか、即ピンとくる。ひとの顔を憶えられない自分からするとこれ、相当です。新聞屋(松田信太郎さん)の声もよかったなあ。そしてアゲハ!椎名裕美子さんの気っ風の良さ!前口上と見せかけて、するりと観客を劇世界に引きずり込んだ詩人を演じた熊野晋也さんもよかったなあ。

そうそう、禿恵さんの役名がブラック・ダリア。舞台の時代は1890〜1930年代、ブラック・ダリア事件は1947年。こういう時間の捻れにもニヤリ。

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書いているのは月曜日。三日間の祭りは終わり、あのひとたちもすいっと消えた。次に入谷に行くのはいつだろう。そのとき名残を見付けられるかな。

01月25日(土)
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