ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
[648528hit]

■『猫背シュージ vol.6』、『冒した者』二回目
皆かなりの早口なのだが、分析や説明も「分析のための口調」「説明として聞き取りやすい台詞回し」で語られるので、内容が聞き取りやすく理解も円滑。これは出演者の技量が高いと言うことだよなあ…哲司さんのモノローグの説得力も素晴らしいが、長塚くんの、講義を聴かされているかのような歯切れのよい台詞回しも見事です。これらスピード感溢れるものいいと、松田くんのゆったりした言葉遣いの交差がいいリズム感を生んでいる。松田くんは「ガッカリしちゃって」「僕みたいになっちゃうよ」と言った特徴のある言葉にはっとするものがあった。終戦から少したった、現代とは少し違う、ちょっと懐かしさを感じる言葉遣いや言い回しが心地よい。松雪さんの江戸っ子口調も素敵です。それが段々狂気を帯び、「気っ風がいいにも程が…」と感じてきた丁度いい頃合いで明かされるその根拠。やっぱりこの芝居は芝居らしい、構成がしっかりしている。

と思うのは、前日譚である『浮標』から続けて観ているからだろうか。『浮標』にはなんと言うか、三好十郎が妻を亡くしたときの混乱が芝居のなかにも感じられるのだ。ひとの死には絶対的に抗えないもので、簡単には片付けられない。その決着のつかなさが、むき出しで芝居のなかにあった。そしてその『浮標』の再演で死にゆく妻を演じていた松雪さんが今回違う役で出演していることが、こちらの「芝居を観る」心構えを整えてくれたように思う。

それにしても美声揃いの出演者でしたね。江口さんも、まことさんも、吉見さんの声も好きー。桑原さんの「自分も他人も年中悪を犯しているような、罪を犯してるような気がしている」かのような声色もよかった。そしてモモちゃんを演じた木下さんは、松田くん演じる須永と、言葉を超えたところで通じ合っているかのような声を持っていた。

-----

想像力が豊かなひと程疑心暗鬼になりひとを信じられなくなる。医者の分析も、多くの所見を資料に想像力を働かせ、患者を診断する。

若宮や織子のように「本式に診てもらっ」ていない不明瞭な診断や宗教を心のよりどころにし、それに依存するようになるひともいれば、舟木のように分析をよりどころに自分を納得させようとするひともいる。彼らは理解し合うことが出来ない、理解出来ないことは恐怖を生む。その緊張感をスリラーとして観ることも出来る。ひとは自分の信じたいことだけを受け入れがちだし、信じたくないことには何かと不都合を見付けたがるものだ。それが夫婦の関係や、金が絡んだ契約に及ぼす影響は絶望的なものだ。信頼と言うものが如何に脆いものであるかを思い知らされる。

舟木の姿には、鴻上尚史の『トランス』に出てくる「分析するしかないじゃない!ねばり強く相手を分析して、自分を強くするしかないじゃない!答えなんて簡単に転がってないのよ!」と言った精神科医のことを思い出す。二十年も前に観た作品なのに、彼女の叫びは耳に残っている。そして『冒した者』の登場人物のなかで私の心がいちばん寄るのは舟木なのだ。分析に限界はある、そのことには気付いている。しかし、「お前の神さまは人間をこんなふうに作ってしまったんだよ!」と言う台詞には大きく頷いてしまうのだ。

-----

まああとあれだな…先月からの日記を読んでる方はご存知でしょうが、ここんとこの自分のAICドップリっぷりが酷くてですね…当時と同じくらい、いや当時以上にハマッている気すらする。怖い!こんなに引きずり戻されるとは!何がきっかけになるか判らないものだわ…レインは麻薬のような声の持ち主と当時言われていたものですが、今実感している!こうやって薬物とかアルコール依存のひとは再発しちゃうのね。いや麻薬やったことないですけど。アルコールもからきしダメどころかアレルギーなので依存以前の問題ですけど。もうやばいよ…ずっと脳内で曲がかかってるよ。芝居とかそういう、他のことに注意がいってるとき意外は鳴りっぱなし……。


[5]続きを読む

09月28日(土)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る