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I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■― 宮澤賢治/夢の島から ―『わたくしという現象』『じ め ん』
後半、前半にも出てきた男の子がシャベルを持ち現れる。穴を掘る。自分の墓穴を掘ると言う。墓標となる枝を挿し、猿のマスクを被せる。あ、猿の惑星だ。マイロ、コーネリアス。名前の由来、生まれた年。彼は先生として現れた女性と対峙し、自分のことを話す。女性は英語で応える。最近の飴屋作品には欠かせない村田麗薫さんの鈴を転がすような声が、それを日本語に訳し、観客に伝える。戦争について話す男性の声が流れる。限界だった、戦争を終わらせなければならなかった、と言ったようなこと。これは誰へのインタヴューなのだろう?
反対側のエリアでは飴屋さんが穴を掘っている。彼らの間を縫うように、こどもたちがガムランの楽器を演奏し乍ら行進する。飴屋さんはやがて、自分の父親の話を始める。彼の職業、彼の記憶。飴屋さんの苗字の本名を作品上で初めて聴いた。
猿たちがモノリスらしき巨大な板を運び込む。飴屋さんとカステルッチは日本とイタリアの葬儀について会話する。土葬、火葬、ミイラ。骨が奏でる音について。日本の墓は地中にあるが、イタリアは地上にある、等々。原子爆弾のモチーフが姿を見せる。モノリスに映し出される天気図に、大陸はあるが日本列島がない。米呂くんが淡々と話す。夢の島の由来。2011年、僕は10歳。2021年、僕は20歳。……50歳になったとき、日本はもうないと。椹木野衣氏から飴屋さんへ宛てられたメッセージが朗読され、それが何故ガムラン音楽なのか、に繋がる。熱帯の生命力。飴屋さんがモノリスに呑み込まれる。こどもたちは行進する。ちいさな足がじめんに立ち、じめんを踏み進んでいく。
宮澤賢治の作品から、カステルッチと飴屋さんが現在へと映し出した世界は、死のイメージで充満していた。それは自然の必然なのだ。ひとも、土地も、全ての命はいつか終わる。しかし自分が死んでも、こどもたちはこれから成長して歳をとっていくのだ。それは続いていく。未来へ繋げていかなければならないものがある。生き残った者は死者を弔い、未来へ生きるひとびとへ祈る。無事で、無事で。
終演後公演クレジットが記載されたリーフレットをもらう。両作品のサウンドデザインはzAkさんだった。カステルッチと飴屋さん、そしてzAkさんの、現在を聴く耳と言うものの繋がりがこう鳴るんだと恐ろしくもあった。
自然と共演すると、それがどんなものであれすごいものになる。酷い目に遭わされることもあると言うことだ。安定感は皆無。抗うことなく波に乗れば、今夜のような体験が出来る。この波に乗ることが出来る演出家はそう多くない。結果的には、まるでこの作品のために用意されたかのような不安定で絶妙な天気になった。穏やかではない、風が適度に強い、雲が多い空。しかし雨は降らない。夜空に浮かぶ星も見え、灰色の雲が流れるスピードが速く、バッタが飛びまわり、鳥の声が聴こえてくる。初日の金曜日は、公演後の夜中に土砂降りになった。
カステルッチと飴屋さんなら、例え雨天になったとしてもすごいものを見せてくれただろうと、今なら思える。しかし雨天になると出演者スタッフともに負担が恐ろしく増すので、この二日間の天気がもって本当によかった。制作も勇気がいったと思います。F/Tはいつもチャレンジングなものを見せてくれる。今回の野外3演目は全て観る予定、まだまだ楽しみは続きます。
09月17日(土)
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