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by kai
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■『ジャックとその主人』『春琴』
うはーサイモン・マクバーニーすーごーいー。暗闇にいることの安堵感、暗闇だからこそ研ぎ澄まされる神経、暗闇で感じるエロティシズム。変態性から愛情は生まれるか、それは芸術になるか、情ではなく生理か。日本人ですら見落としがちな感覚を、イギリス人である彼がこう感じ取って提示するのか…感嘆。共感することに恐怖すら感じるが、恐怖があるからこそ変態と言うものは成り立つ気もする。そしてこの物語から浮かび上がる変態性は日本人独自のものか?

谷崎潤一郎の『陰影礼賛』『春琴抄』から。マクバーニー演出ですから、春琴も佐助も複数の役者が演じます。春琴は役者にも人形にもなる。ここらへん文楽として観ることも可能です。春琴の声は全て深津絵里さんだったかな(あの声がすごく活きてた!)。

幼くして盲目になった春琴の身の回りの世話をする佐助が、顔に火傷を負った春琴の顔を見まいとして自分の両目に針を刺す。

と書くと美しい献身の物語に思えるが、春琴には嗜虐性があったとされ、“生理的必要品”として佐助を側に置いたとの解釈も提示される。平たく言えばSMの関係だ。佐助は春琴本人も見たことがない彼女の身体を細部に亘って見ており、その身体を磨き続けた。春琴と佐助の間には何人ものこどもが生まれたが、死んだり里子に出したりで、ひとりも自分たちのもとには残さなかった。執着も全くなかったようだ。

佐助は春琴にそらもーいじめ抜かれる訳ですが(特にチョウソンハくんはボコボコよ・笑)そこに色気を感じさせる仕掛けがあります。宮本さんが春琴のボディ、声を深津さんが演じて佐助を蹴るシーン。照明は極力落としている。宮本さんの脚が、3人の佐助を蹴り続けるうちに、着物の裾がめくれてくる。その白塗りされた脚の艶かしいこと!それ迄人形で演じられていた春琴のボディが生身の人間に入れ替わったことで、このシーンから一気にエロスが感じられるようになります。春琴が年齢を経る毎に深津さんの声色も変わり、これも効果的。

NHK第2放送用のナレーションを朗読すると言うシークエンスも面白かった。ナレーターを演じている女性(立石さん)は不倫中で、「私はあなたの生理的必要品ですか?」と問います。もうここらへんになると、“献身の物語”だけで観ることは許さないと言う演出家のハッキリした意志が感じられる。これは変態なのか?変態であると言うことはどういうことなのか?大体セクシュアリティーに普通ってものはあるのか?と迄考えることになる。で、そこには愛情もあったりするんですよ…他人には理解出来ない愛情。愛情にも普通はないと言うことになる。それは執着とも言えるかも。いかにも谷崎潤一郎的、ですが、それを日本語が読めないマクバーニーが……と思うともうひたすらすごいとしか……。これ『エレファント・バニッシュ』同様今後イギリスに持って行くのかも知れませんが、あちらでどのように受け取られるかは非常に興味があります。

役者は出ずっぱり。観客も息を呑んで全力で観る。演者の動きや声を、観客が視覚と聴覚をフルに使って観る。

アフタートークには萬斎さん、三味線の本條秀太郎さん、マクバーニーの通訳を担当した野田学さんが出席。以下印象に残った話。

・『陰影礼賛』をやりたいってことで、マクバーニーのワークショップに参加したのは10年前。2年くらい前に『春琴抄』も…となって、今の形が出来てきた。でもプレヴューの寸前迄全体がどうなるか決まってなかった(本條さん)
・サイモンは稽古場にあるものは何でも使う。本條さんもいつ三味線を弾けるのかってくらい他のことをやってた(笑)(野田さん)
・これをイギリスで上演したら字幕になってしまいますよね。今回の上演の感覚をまんま受け取れるのは日本人として嬉しいし、日本の文化として提示出来る作品としても喜ばしいことだなと思う(萬斎さん)
・畳の裏にカタカナの会社名が書いてあるのがすごく気になった(笑)(萬斎さん)
・全てを見せる、観客に隠さないと言うマクバーニーの意図もある(野田さん)
・逆に考えれば、日本人的な「ないものを見る」「そこにあるものとする」感覚を大事にしてるのかも(萬斎さん)=ここらへん“心眼”だよなー

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03月01日(土)
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