ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『死ぬまでの短い時間』『わが闇』
北村さんはVシネでも映画でも一匹狼的な役を演じることが多いですが、今回もひとりで生きざるをえない男を魅力的に演じていました。そんな男だけど姉夫婦とは繋がりがある。姪っ子をかわいがっている。姪っ子はかわいい、プレゼントをよく持って行く。それでも、ひとり。秋山さんはもともと芸達者な方ですが、こういう謎な女を演じるとむっちゃ輝きますね!そら孤独な男も惹かれますがな。田中さんは初舞台とは思えない思い切りっぷり、内田さんも岩松作品特有のピリピリした女をかわいく憎めないキャラクターに演じており素敵でした。電話ボックスのシーン格好よかった!古澤さんは初見でなんだこのキショい役者は(ほめてる)!と思ったらゴキコンのメンバーなんですね…成程(納得するな)巧いな〜。トリティック・テへダスの生演奏も格好よかったです。ベニサン・ピットの怪しいロケーションも相俟って印象的な舞台でした。

「角の弁当屋がなくなって、道に迷ったひとが沢山出たそうだよ」って台詞があってウケていた。森下駅からベニサンへ行く道、長年の目印になっていたお弁当屋さんがなくなっていたのだ。森下の景色も変わっていく。

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NYLON100°C 31st SESSION『わが闇』@本多劇場

さて改まって書くとなるとどう書けばいいのやら…。ストーリー等は他のところに詳しく出てると思うのでそちらを見てくだされ…。

父の遺言で、家族のわだかまりが解ける。ずっと娘たちに背中を向けてきた父が、死と引き替えに振り返る。作家である父と同じ道を選んだ長女は誰よりも父を理解したいと思い、実際そうであることを父に気付いてもらえていないと思い苦しんでいた。いちばんかわいがられた次女は父から誤解されていると思っていた。末っ子の三女はいちばん心配されていた。誰にも気付かれることなく、アルバムに貼られた写真の裏に言葉を遺した父は、誰からも気付かれることなく笑顔で逝った。

それは救済であるかのようだ。

ケラさんがごあいさつにも書いていたが、劇団ならではの強味を活かした作品とも言えました。それぞれの役者の力量に加え、遅い脚本(苦笑)にも対応出来る阿吽の呼吸。そしてその脚本も、ある意味あて書き。あて書きと言うのは、その役者のプライベートな面を引き出して書くと言うのではなく、この役者ならこれが出来ると言う信頼感からのものだ。そういう意味では客演の3人もすごいなと思った。まるで劇団員のように馴染んでいる。そしてそのような役割を振られているとも言える。こんな座組は、プロデュース公演では実現しない。逆に言えば、劇団の懐の深さ、度量を見せつけられた。

そしてケラさん言うところの「無駄」や「寄り道」、これがあるからこそ深みが増したストーリーに思えた。悲劇的な局面には必ず笑いも付いてくるものだ。あたふたしているから、追い詰められているから突飛な言動が出てくる。紙一重だ。その方がリアルだと思う。悲劇的な面ばかり拡大して描き、それを泣かせるカタルシスに持っていく最近の「泣ける」ものにはどうしても違和感がある。

「無駄」「寄り道」には、後で振り返ってみると大事なものが含まれている。それは機能的なものでも、形になるものでもないが、不思議と心に残るものだ。思い出と言ってもいい。三姉妹の共通言語「ダバダ」とそのコーラス、雷が鳴るとハイになる大人たち(それはこどもの頃からそうなんだろうと思わせられる)、書生の三好の服のセンスはどうにも調和がない、恋愛第一で仕事は上の空の大鍋は大事なビデオを紛失するが、それは忘れた頃にトイレから出てくる。皆藤の妹はひとを噛む癖があるが、兄のことをとても慕い心配している。義兄に襲われた三女は「私だってこういうことしてみたいのよ」と言う。その「こういうこと」は「黙っておく」ことなのだが、編集者は「義兄に襲われてみたいってこと?」と誤解する。

登場人物は皆自分勝手だが、それはあたりまえだ。人間は決してきれいごとだけでは生きていけないからだ。糾弾するのはたやすいことだが、それを清濁併せ呑み、吸収する家族の大きさと言うものが描かれている作品だった。


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12月15日(土)
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