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KYOKOの日記
by KYOKO
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■祥月命日
春ランが咲きました。
この花は毎年地味に咲いてくれます。



今年はめずらしくエビネが咲いたと父が嬉しそうに写真を撮っていた。
気候が合ったのか!?
洋ランは派手で綺麗だけど、地味な和ランも中々良いものだ。
うん、こういう(どういう?)生き方をしたいかも!?




今日は母が亡くなって14年。
まだ64歳だった。
生きていたら、志保ちゃんを嬉しそうに抱いてくれただろうなぁ〜

でも、私の中での母は決して優しいとか慈愛に満ちたとかって存在ではなかった。
常に厳しく、正しく生きることを求める人だった。
いつも母の目を気にして、亡くなってからも「これでイイ?」って母に問いかける癖はやっと最近無くなったが・・・

最近、母は私に何を望んでいたのだろう?って想う時がある。
確かに、教育には熱心だった。私をキャリアウーマンにさせたかったのか?いや、いい所へお嫁に行かせたかった?

でも亡くなる時、私に望んでいた事はただひとつ「父を頼む」って事だった。
病院で「お父さんを頼むよ〜」って何度も言われた。
いい生活をするとか社会で成功するとか、そういう事はもう夢だと悟ったからかしらw
そういう事とは別の次元で親孝行は出来るけど・・・父を頼まれた私は、母の望みがあろうが無かろうが父と暮らしていたと思う。

今私が子供たちに願う事を考えた時に・・・
そう、決して良い所へお嫁に行って欲しいとか人から認められるような立派な人になって欲しいとかでは無い事に気づく。
娘がシアワセならば親は他に望む事は無い。
娘によく言うことだけど・・・親はいつまでもあんたたちの傍に付いていてはやれない・・・だから、自分で生きていく術を身に着けていくんだよ〜!
って・・・
自分で生きていく為の、学習であり自分を律する事だと思ってる。
それが幸せに繋がるとか言うのとは違うとは思うが、少なくとも力にはなれると思ってる。

私が子供たちに思うことを母も思っていたのかもしれない。
私の姉が思いがけず若くして亡くなった為に私への想いは複雑なものになったと想像は付くが・・・
親って自分の事より何より子供の事を第一に考えるモノだと思ってる。
母が見守ってくれてる。って言う感謝の心で父と暮らしていこう〜
私自身「いのち」はもちろんの事、たくさんのものを両親からもらってるのだから・・・



04月24日(火)
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