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西方見聞録
by マルコ
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■書評:ヒットラーとナチスドイツ・鶴橋安寧
終わりそうで終わらないエンピツ日記。
ちょっと一息(といつつ宿題が3つくらい終わらない夏休み終わりの小学生みたいな感じなんですけど)ついたので、夏の移動中読書の書評など。
「ヒトラーとナチスドイツ」石田勇治著 講談社現代新書
えーっとですね、今から3年前(!)ベルリン三部作をお勧めしまくっておりました、こんなかんじ。この3部作で虫の目、市民の目から見てたあの時期のベルリンを、鳥の目方捉えなおしましょう、と思ってこの本を読みました。新書で割と読みやすいです。
ワイマール憲法というとっても進歩的な憲法を持ち、民主的で社会福祉も進んでいたはずのドイツ社会がなぜ当初、キワモノだったヒットラーに政権につくことをゆるし、ついには全権を委任してしまったのか、そして1100万人を対象にした殺害計画=ホロコーストへと暴走してしまったのか。そこんところのなんで?に丁寧に掘り起こそうとしています。
最後の第6・第7章のホロコースト実行への過程がものすごいですよ。この本。
ホロコーストに突き進んでしまった要因はいろいろあるのですが、なかでも目を引いたのは
@第1次世界大戦後の不況から祖国の復興を目指すナチスの指導のもと、社会全体が非常に効率化を求めて行った過程。
Aそして祖国の復興のために一丸となるべき社会で「効率的でない」「障がい者」がまず絶滅対象となったこと。
Bこのとき障がい者虐殺を実行した医師集団がその技術とメンタリティーをもって、各地に建設された収容所で「活躍」したこと。
虐殺対象は障がい者、無宿人やジプシー、エホバの証人の信者、共産主義者そしてユダヤ人へと拡大していきます。ユダヤ人に関してはあまりにその数が多かったため当初はマダガスカル移住や、ソ連など東方に獲得する予定の占領地への移住というか追放が検討されていたけれど、どの移住計画も戦局の悪化でとん挫してしまい、「餓死や銃殺よりは人道的にガス室で」ということになっていったと本にありました。すでにソ連での激しい捕虜虐殺を経験したナチスドイツ上層部が大量虐殺に慣れてしまったこと、さらには障がい者やジプシーの虐殺への世論の反応をヒトラーは観察しながら、これならOKとホロコーストに踏み切って行ったのではないかなど、ものすごい歴史がいっぱい記述されています。
凄いコワイ本ですけど、でも、あるカテゴリーの人々への人権侵害を許してしまった社会は激しく狂っていく過程が描かれています。
虐殺対象となった「彼ら」を<集団>ではなく<一人の人間>としてみる視点が当時のドイツ社会にあったなら。アンネの日記が広く読まれたのは戦後だったけれども、アンネの日記がもしタイムマシンで戦争中のドイツに届けられて広く読まれていたのなら。
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さてナチスドイツのもと狂っていったドイツ社会を、いまの日本社会の排外的な雰囲気に重ねて考えるといろいろと震撼としちゃうんだけど、まああのころになくて今あるものってのもたくさんあります。たとえばインターネットとか。
もしアンネの日記がインターネットブログで書かれてて、広く読まれてたら「ユダヤ人」というステレオタイプのなかから、人々は1人の少女の顔を発見することができたでしょうか。
というわけで、いま在日コリアンに対する狂気のように激しいヘイトスピーチが吹き荒れる中、特定秘密保護法案という法律や、高校無償化からの朝鮮学校除外など公的に行われている在日コリアンへの疎外の中、編まれた現代の「アンネの日記」のようだと思って次の本を読みました。
「鶴橋安寧」李信恵著 影書房
前半は著者がヘイトスピーチの標的にされながら、カウンターに立ち、京都朝鮮学校襲撃事件の裁判を支援をし、ついに自分自身がヘイトスピーカーを訴える裁判を起こすまでの過程が語られます。ちょっと意外だったのは著者が朝鮮学校を理解し、心の距離を縮めはじめるのが東日本大震災以降だということ。こういうとき「在日コリアン」とまとめられる人々の多様性をしみじみと思います。
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09月01日(火)
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