ID:4157
西方見聞録
by マルコ
[200284hit]
■ジェンダー3題B魔法にかけられて―女は移植可能な花ではない(ネタばれ注意)
「魔法にかけられて」という映画を見に行った。ディズニーのプリンセス物語のセルフ・パロディとでも言うべき作品で、ディズニーはどこまで自分を笑えるのか、挑戦した映画だ。なんだか子どもがどうしても見たいというので、あめでおさんの居ない休日、手持ち無沙汰だったんで、近所のシネコンに2児を連れて参上したわけだ。
ちょっとこれはかなりネタバレな話になるので、もし今後この映画を見てみようという気のあるヒトは本日の日記は読まないことをお勧めする。
(以下ネタばれ注意)
で、ディズニープリンセスといえば白雪姫以来、女は寝て待ってりゃ、かっこいい王子がキスして起こしてくれて問題解決してくれる、という世界観がジェンダーバイアスを構築している、ってな感じで批判されてきた。こういう批判にはディズニーも感じるところがあるんだろう。ムーランとかシンデレラ2とかそれなりにヒロインの奮闘を描く作品も作っている。まあ男支配の大構造自体はあんまり変わらないんだけどさ(シンデレラ2のシンデレラの奮闘は王子の愛に支えられて初めて可能なんだしさ)。
今回のプリンセスはアニメのおとぎの国から現実(実写)のニューヨークにやってきて、現実の離婚(調停専門の)弁護士さんと出会い自らも現実的に「成長」し、現実世界に夢を与えながら影響を及ぼす、という役どころだ。後に恋人となる離婚弁護士は前妻との間に生まれた娘を養育しながら現実的価値観で選んだ現在の恋人(自立したキャリアウーマン)と結婚を準備している最中だ。またプリンセスをおっておとぎの国からやってきた過剰に王子キャラで完全に現実から浮いてる王子もプリンセスを求めて無意味な空回りを重ねる。
そして最終的には王子の母の悪い魔女とプリンセスは対決するんだが、この対決シーンではドラゴンになった悪い魔女に離婚弁護士がさらわれ、プリンセスは剣を引っつかみ、離婚弁護士を取り戻そうとドラゴンに対峙する。最終的にプリンセスはドラゴンをやっつけ、ドラゴンのこぶしから取り落とされた離婚弁護士をプリンセスは受け止めて二人は愛を誓う。まあこのラストの対決シーンではディズニーの制作側の「見てみて、ジェンダーに配慮してるでしょ」って目配せがちらちら感じられ「はいはい、わかりましたよ、配慮しました、えらいえらい」とマルコもぱちぱちと拍手をして差し上げたい。
しかし問題はこれからだ。プリンセスは離婚弁護士と結婚して、現実世界で幸せに暮らし(彼女は服飾の才能があるのでそっち方向のビジネスを起こすのかな?という描写もあった)、取り残された離婚弁護士のキャリアウーマンな婚約者と過剰な王子様はなぜか恋に落ちて、二人はおとぎの国に行って結婚式を挙げる。この後者のカップルに関してはキャリア女性だってメルヘンを求めて癒されたいんだ、的解釈に妙にうなづきたくなる。で、ラストシーン、アニメキャラになったキャリアウーマンの携帯電話がなる。「アラここ圏内だったのね」とキャリアウーマンは携帯のアンテナが立ってることを確認してから、携帯を投げ捨てる。携帯は岩にぶつかって壊れる。それがラストシーン。
このラストにマルコは「ディズニーのおやじども、貴様らやっぱりなんにもわかってねえな。それとも確信犯か」と低くつぶやく。
1号さんが「どうしてせっかく携帯が通じてたのに、捨てちゃうのかな?電波が通じるんだったら昔の友達や家族とも電話できるし、メールのやり取りが出来れば仕事も一部は続けられるんじゃないの?」と疑問を呈される。
そう、そこだ。問題は。
ディズニーの一貫したテーマ、それは「女は男の愛があれば、それで幸せ」なのだ。あの、おとぎの国でもいまいち役に立ってなかったおばかで過剰な王子さえ、それまでの環境をまったく手放さず、女にだけ自分との愛以外のすべてを捨てさせる。離婚弁護士の元で幸せに暮らすプリンセスもその新しい世界での愛という幸せにのみ満たされておとぎの国に残してきたであろう係累を一顧だにしない。対して離婚弁護士も過剰な王子もそれまでの地位も、仕事も、前妻との娘も友達も親戚も何一つ失わない。
[5]続きを読む
05月01日(木)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る