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西方見聞録
by マルコ
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■ジェンダー3題@ちりとてちん
べつにさ、わたしってそんなに激しいフェミニストではないと思う。普通に(普通って何さ)女も男と同じ人間であると言うことをわかって欲しいということを穏健にやさしく述べているだけだと言う自己認識を持っている。
そんなマルコが優しく咆哮したいネタが3つある。と言うわけで久しぶりにシリーズもの。ではその@ちりとてちん最終回
1)ちりとてちん最終回
ごめんなさい、1度も見ていません。しかし愛視聴してた実母エルザが「好きで見てたのに最終回で横面張られたような衝撃を受けた」というので板友どらちゃんにどういう話だった?ときいたところ詳しく教えていただきました。
こういう話だったそうです。
「いつも「主人公」にはなれず脇役ばかりだった女の子が、「おかーちゃんみたいになりたない!」と捨て台詞はいて家を飛び出して「自分もスポットライトを浴びたい」って感じで落語家をめざし、女流落語家として一応成功する。ずっと好きだった兄弟子と結婚して「おかみさん」にもなり、これからというときに妊娠。それでいきなり引退宣言して周囲をびっくりさせる。
でも本人は「おかあちゃん」であることの意味(UW、シャドウワークの意味)がわかっていなかった過去の自分を詫び、「おかあちゃんみたいになりたい」と言うところでドラマが終わる。」サマライズ BY どらちゃん
で、ちょっとコメント。
なぜ、女は母性を発揮すると自分の自己実現を放棄しないといけないのか。「他者の自己実現が生きがい」、という人生はもちろんあっていい。男性だって、マネージャータイプで他人を育てる方が上手な人はいる。
なぜ、他人のお世話を常に「母性」と連動させるのか。そして自己のキャリア途絶によって母性と連動した他人のお世話を発動させようとするのか。自己のキャリア形成と母性の発動ってのはそんなに矛盾するのかい?違うと思うよ。
子どもを育てるのは大変だが別に女の専任事項ではない。保育園や夫と共同作業で子どもを育てるのであれば母親の子育て関与への特殊性はぐっと薄らぐ。母になるのだからとキャリア形成の途絶が要求されたのはずいぶん昔の話では?
子どもを妊娠出産育児することをあまりにも特別な作業と思わない方がいい。なんかそのものすごい秘儀をやってるかのようなへんな持ち上げ方にも逆にこの頃の親はそれが出来ない的なバッシングも非常に違和感がある。親のしつけってそんなにものすごく力のあるものじゃない。子どもの個性の前で親の力なんてそんなにたいしたものではない。もし道端で騒いでる子どもがいたらその親を「しつけもせんで」と攻める前に「ああ脳みそが暴走するタイプの子どもなのね」、と思って欲しい。
ヘアーインディアンみたいに子どもを気軽に養子に出して生むことと育てることが必ずしも一緒でなくて子育てを楽しみたいからちょっと育ててみる、みたいなライト感覚な母子関係の社会になればいいのにと思う。子どもの立場で考えれば絶対重い親よりライトな親のほうがラクだと思うんだけど。みんなそんなにヘビイな親が欲しいのかな?自分の夢をあきらめて全部お前に賭けたのよ、みたいな母親ってうれしい?私が子どもだったら凄くコワイ。なんかストーカーなファンを持ってしまった作家のように嫌な気分。
UWもシャドウワークもいいけど、それは表の仕事をあきらめたから質の良いUWが出来るってわけでは決してないと思うよ。仕事の合間の空いた時間でライトな子育てみたいなドラマって不可能なのか?
03月31日(月)
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