ID:4157
西方見聞録
by マルコ
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■いい夢ばっかりじゃないけど悪い夢ばかりでもない 結
 あーどうもどうも。なんか熱くなっていろいろ語りましたが、何で熱くなったのかちょっと説明しずらいのですが、最後にまとめとこうと思います。

 まずビクトリア湖の魚が全部ナイルパーチに食われちゃうって感じの単純な生態系観の部分がなんか最初っから引っかかってたのでした。最大水深84M,平均水深40Mある湖で魚がすみわけしないで、全部でっかい魚に食われるかな? 水深7メートルの霞ヶ浦じゃあるまいし。

 でもまあナイルパーチが小魚を全部食っちゃうというのは欧米日の先進国という巨大な消費魚がアフリカの中小魚を食い荒らしているということへのメタファーとして描かれたのかな? あんまり実際の湖の生態環境には重きが置かれてないのでしょうかね。一切データ的なものは出てきませんでしたよね。

 湖の生態系の話としてもグローバリズムの生態系の話としてもやや乱暴な単純化されすぎた図式という気がします。

 湖の生態系の話として捉えた場合、乱獲で確かに漁獲量は落ちてるけどそれはナイルパーチだけのせいではなくて、輸出用に採りすぎてたり、周囲の環境問題も絡んだもっと複雑な問題のはずだと思うんですわ。地元ムワンザのTV局が『湖の死』という環境ドキュメンタリーを制作してたっていいます。わたしゃこの地元のTV 局製作のドキュメンタリーを見たいな。
このムワンザのTV局製作のドキュメンタリーの話や細かい漁獲量の話はココで見つけました。
→こんなんとかこんなん

 
 で、こういう意見を読んだからってこともあると思うんだけど、やっぱり欧米のアフリカ観(惨めで悲しいなすすべもないアフリカ)が色濃く投影された作品だな〜って気がしました。もちろんアフリカには戦争地域もあり、そのせいで本当に惨めでなすすべもない地域もあるだろうけどタンザニアがそうかって言うと、ちがうんじゃないの?って気がするんですね。

 アジアを語るときアジアと言ってもさまざまな地域や国があるのと同じようにアフリカも多様です。でもアフリカを語るときはなんかすごくみんな乱暴に飢餓と内戦の「アフリカ」でまとめるな〜という気がします。で、それはやっぱり絶対的な情報量が足りないからだと思うんです。かろうじて人の耳目を引く飢餓と内戦は伝わることもあるけど普通のアフリカの日常の情報ってあんまり伝わらない。で、やっと伝わったアフリカの日常が「ダーウィンの悪夢」で『なすすべもない感』が濃厚なことに私はきっと失望したんだと思うんですわ。

 MIXIのほうでアイラグちゃんが<http://mixi.jp/view_diary.pl?id=349545384&owner_id=1932891>な風にタンザニア政府の抗議に反対しているけど『多様な見方が確保されてる状況』ではじめていえることだと思うんですね>「ドキュメンタリーの数だけある世界」。すまんアイラグこんな紹介の仕方で。MIXI はMIXIにログインしてからでないとページが見えないのでご注意。

(言論の自由に配慮してたけどやっぱり黙ってられなくなった吉田昌夫先生のコメントなんかをご紹介)

 メジャーに流通しているアフリカ情報の中でどれだけ「悲しくてなすすべもないアフリカ」以外の情報が流れてるかって言うとすごく少ないのですわ。メジャーに受け入れられるアフリカは常に悲しくなすすべもない。つまり人々が欲している情報が、人々が見たいアフリカがそういうアフリカなんだろうなと思うのです。メジャーな作品が今後たくさんアフリカを背景として使うそうです>(松本仁一ワールドくりっく 朝日新聞3月8日掲載)で、それらの映画の世界観の中で能動的に動き回るのは常にデカプリオだったり、レイフ・ファインズだったり白い人々で、アフリカ人たちは背景としてあるいはステレオタイプ化された役どころを粛々と演じるんだろうなとおもうと「客体としてのアフリカの再生産」に胸が痛みます。


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03月13日(火)
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