ID:4157
西方見聞録
by マルコ
[200372hit]
■国勢調査の想い出―ケニア編―
さて国勢調査の秋である。わずかな賃金でボランティアしてらっさる調査員の皆さん、まことにご苦労様でございます。いろいろと楽しくあんな個人情報やこんな個人情報を記入していると思い出されるのは今から12年ほど前のアフリカでの乾季の終わり、マルコが青年海外協力隊からの派遣でケニアの内務省国家人口審議会、メルー県人口局次長を勤めていた時代のことである。
1993年のことだ。世銀が出資し、Usaid(アメリカ版JICAね)が実施主体になってアフリカのリプロダクティブへルスの知識やサービスの普及具合を調査する大規模統計調査が行われることになった。前回は10年前だった。このときは10年ぶりの大規模調査ということになる。
アフリカの国々でやるのだが、わがケニアでも行われることになり、ケニア側のカウンターパートは私が所属していた内務省の国家人口審議会が勤めることになった。(KDHS Kenya Demographic Health Survey とよばれておった)
そんで20ページほどの分厚い調査票のまず各国共通版で作られ、それを各部族語に訳すのに先だって、パイロット調査が行われた。このときアメリカ本国から派遣された専門家のANNEさんと私の上司のニャンバティさんとパイロット調査員のカレミさんとで村でちょっと数件調査してみて、ケニアの農村部の概念と質問票の概念がうまく適合しないところをチェックした。
(例えば「子どもが熱を出したときどうしますか?」と言う質問の「熱」をメルーでは「マレイリア」なのだがそのまま使うとただの熱とマラリアの熱と混同しちゃうからどうしようかとかそんなかんじ)。
ANNEさんはUsaidの結構大物で10年前の調査のときもかなり関わったが今度はケニアでの調査の総指揮をとっていた。ANNEさんがパイロット調査の様子を見ながら「ケニアは10年で変わった。10年前は多くの人が避妊の知識も保健の知識も伝統的なもののみを持っていたけれど、いまでは伝統的なものも近代的なものも両方持っている。すばらしい変化だ。」と語った。毎日本当の末端でケニアの人とがんがん意見調整しなければならない立場にいてとても奇麗ごとを語れない気分だった私から見るとANNEさんの支援の相手国を尊重する態度はなんだかすごかった。
私見だが、長期滞在の国際協力関係者と言うのはわりと癖のある人物がおおい。しかしこのANNEさんはかなり珍しい、高潔で相手国への尊敬を(表面的にであれ)揺るがす事のない人物だった。短いパイロット調査を終え、彼女はナイロビに帰っていった。『よい協力活動をしてね』と、短く励ましてもらったのを憶えている。
さて、その後各県でのパイロット調査も終わり、各県7名ほどの調査員の選抜のための面接試験が実施された。当時ケニアはIMFと世銀による構造調整政策の真最中で失業者が町にあふれ、とくに高学歴の女子は上級の学校を出てもよい就職口がなくてみんな困っていた。そんなわけでこのリプロダクティブヘルス統計調査の調査員の応募者はものすごい数になった。採用者のなかには前のパイロット調査のときのカレミさんや巨体のアグネス、県保健局の上層部の娘のムカザなどなかなか個性的な面々が選ばれ、そして彼女達は州都ニエリで開催される調査員のための研修会(一ヶ月)のために旅立っていった。
一ヶ月後、彼女らは戻ってきてメルー県に於ける統計調査が始まった。メルーの人口の大半は公共交通の発達してない海のように広い農村に散在している。それで統計調査は全戸調査ではなくサンプル調査で行われる。100万人を越すメルーの人口のうち3000世帯ほどを調査し、傾向を見ようというわけだ。
人口局のジープに7名の調査員と監督官を乗せ、毎日海のような農村に出かけ、ターゲット世帯の前で調査員を下ろし、一時間ほどしたら調査員を回収しまた別の世帯の前でおろす。留守の場合は畑まで探しに行ったり、教会の前で待ち伏せしたりするのである。農民の多くが字が読めないこともあり、調査票にある質問を調査員は読み上げ調査対象者はそれに答えていく形式だった。
監督官は多くの場合上司のニャンバティが勤めたが、不在のときは県統計局のワンジャさんや不肖、ワタクシが勤めたりした。
[5]続きを読む
09月30日(金)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る