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西方見聞録
by マルコ
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■国勢調査の想い出―ケニア編―
一日農村を回って7人の調査者が3〜5人の被調査者を捕まえて話を聞く。そんな日々が何ヶ月も続いた。私は当時進行中のJICAのプロジェクト(やっぱり農村を経巡るやつ)の傍らそちらの仕事もしたのでホントに現場に出たのは10日にもならなかったと思う。
統計調査の項目はまったく多岐にわたっており、村のお母さんたちの年齢や結婚暦、子どもの数、その子どもが現在どこで暮らしているか、今誰が同居しているか、なんの仕事をしているかといったそれこそ国勢調査的な質問から、子どもの病気のときの対処法への知識、避妊の知識やAIDS予防知識の有無、性経験性行動の実態調査までが聞かれた。質問票の英語版を片手に現場について行ってメルー語で行われる調査をじっと聞いた。おもしろかった。
もうかなりな年のおばさんが最近6ヶ月の性交渉の相手の数を問われて6人と答えて照れたり、その地域では珍しい中学出の若いお母さんが『握手でエイズは感染する』にYESで回答しちゃったりしていた。
調査員たちの調査は一応トレーニングされているのでそんなに大変な大間違いとかはないのだが、私はカレミの調査が一番うまいと思った。いろんな聞きにくいことを「そっと」聞いて、被調査者をとても思いやってるように見えた。他の調査員はわりと偉そうな態度だった。
何ヶ月も村部での調査が続くうちに、調査員のみんながいろいろと変化していった。アグネスは髪が金髪になった。地味な印象のムカザも髪につけ毛をしてなんか派手になった。どうしたの?と聞くと、調査員には日当が日本円で500円ほど出ていた。それでみんなでおしゃれを競っているのだと言う。日本から見れば、また出資者の世銀から見てもそれははした金だろうが、一日500円、一ヶ月で15000円の仕事と言うのは当時ケニアの地方部、特に女性の仕事にはめったになかった(内務省の管理職だったニャンバティの当時の月給がそれくらいだったと思う)。そんなわけで毎日地方を巡りあるく調査員たちは毎日きらきらときれいになっていった。そのうち巨体のアグネスが私の上司のニャンバティと恋仲になった。ニャンバティには奥さんも子どももいたし、アグネスの方も遊びらしいのでその後どうにかなったという話は聞かなかったがパイロット調査から付き合ってくれてたカレミも当時ニャンバティさんと付き合っていたのでなんだか調査に行くジープの中はすごく険悪になった。
また若いきらきらした女性たちが何ヶ月も朝夕人口局に出入りしたので森林省の外部スタッフ(わずかな日当で森林省からのお知らを村部に持っていく有償ボランティア)の人が『独身の女性がこんなにたくさん給料をもらってるなんて非常識だ。誰か一人を私の嫁にしたい』と人口局に申し出て、人口局の秘書のドリーンが「キャリアをもって働いている女性に対して差別的なこといわないで!」と激しく怒り、2人はすさまじいケンカをした。私が帰国するまで森林省のおじさんは人口局ではあんまりやさしくしてもらえなかった。
そんなこんななたくさんの狂想曲のもと、めでたく調査は終了し、7人の調査員はまた新しい職場を探さねばならなくなった。ニャンバティさんはアグネスを私が抱えていたJICAプロジェクトの助手にしようとして、私とケンカした(そんな予算はなかった)。でもアグネスが新しい会社の求人に応募するときはCVを私のワープロで打ってあげた。なんかきらきらしてたみんながどんどん地味になっていった。カレミがこっそり「わたしたち随分マルコの面倒を見てあげたわ、私たち日本にボランティアに行ってあげたいな、マルコがケニアにボランティアに来ているみたいに(注1)」と言われた。
(注1:青年海外協力隊は現地ではジャパニーズボランティアと呼ばれていた。)
そうだね、カレミみたいに誰とでもそっと仲良くなれて、うまく話しを聞いてくれる人が国勢調査のボランティアに来てくれたら助かるね、と今思う。でも日本はみんな字が読めるから、聞き取り調査じゃなくて被調査者が自分で書いて封筒に封入して送るんだよ。
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09月30日(金)
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