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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■「平成」の終焉と新たな時代について
天皇陛下が退位することになって、平成という一つの時代が終わることとなった。平成元年というのはオレにとっても一つの区切りの年である。昭和の最後が近い1988年にオレはヨーロッパをまる一ヶ月放浪旅行した。その東欧北欧を巡る旅「白夜特急」の中で、オレが実感したのは「東側諸国の社会主義体制の終焉」だったのである。ポーランドや東ドイツを旅しながらオレが感じていた空気は後に現実となった。この件に関しては後に友人からよく言われたモノである。
「おまえが東欧で民衆を扇動して回ったからあんなことになったんだろう!」
オレがワルシャワの街角で、ポーランドの若者と第二次大戦やその後の歴史、そして社会主義と資本主義の抱えた問題について議論したことは事実だ。彼らはストレートに「あんたは資本主義と社会主義とどちらが好きか?」と訊いてきて、オレが「資本主義だ」と応えると彼らもすぐに同意し「 我々はロシアが嫌いだ。我々は決してカチンのことを忘れない!」と語った。当時のオレはソ連軍が捕虜のポーランド軍将校を虐殺した「カチンの森事件」についてまだ全く知らなかったのである。
翌年の正月に天皇陛下が崩御されて、平成という時代がやってきた。平成2年の春にオレは今度は新婚旅行でベルリンに出かけた。まだ東西ドイツは統合していなかったがベルリンの壁が崩壊し、その壁のカケラが土産物として販売されていたのである。大韓航空機で隣り合わせたドイツ留学から帰国するという韓国人の青年は「ドイツはきっと近いうちに一つの国になるよ」と語った。その時にオレは「きみの国は?」というちょっと意地悪な質問をしてしまったのだが、彼が少し悲しそうな顔をした後で「 In the future 」と決然と答えたことを今でも覚えている。
平成という時代のスタートは、ヨーロッパでの社会主義体制の崩壊によって始まったのである。ただ、ベルリンの壁が崩壊する数ヶ月前には中国で天安門事件が起きて多くの民衆が政府によって虐殺されたこともまた事実だ。天安門事件の死者は3000人とも2万人とも言われるが、その正確な数は不明のままである。一方で民主化を求める市民によってチャウシェスクのような独裁者が虐殺された国があり、もう一方では政治権力によって市民が虐殺されていた国があった。平和な日本から傍観していた我々は、そこでいったい何を学ぶことができたのだろうか。
その後、日本はバブルが崩壊して長い不況の時代を経験した。就職氷河期がやってきて、失われた20年と呼ばれる長い沈滞の時代を経験することになったのである。戦後の「昭和」のイメージを「高度成長」とするなら、「平成」は「繁栄の後の長いトンネル」と呼べるだろうか。
その平成の時代が終わる。平均初婚年齢がどんどん上昇し、子どもの数も減った。結婚しない人が増えた。結婚しても離婚する人がものすごく増えた。オレが子どもの頃に当たり前だと思っていたライフスタイルは、もはや幻想の昭和の中にしか存在しないものとなってしまった。「三丁目の夕日」という昭和を描いた映画が妙に郷愁を呼びさますほどに昭和という時代ははるかな過去になってしまったのである。オレの記憶の中の「昭和」は輝いているが、「平成」の記憶はあまり明るくはない。仕事もハードになったし、自由になる時間も減った。これはとても個人的なことだが仕事のストレスが困じて3度も入院してしまった。すべてそれは「平成」の世に起きたことである。だからオレの中の平成のイメージもやはり「長く暗いトンネル」のような時期だったのである。
新しい時代はどんな時代になるのだろうか。平成生まれのオレの二人の息子たちはほぼ親からの自立を果たしてそれぞれの人生をスタートした。長男は教師になることを目指して教育大で学び、次男はなんと外国に行ってしまった。オレにとっての新しい時代というのは、すでに親としての役目を卒業した後、息子たちの活躍をただ眺めている時代なのかも知れない。海外生活のあれこれをときどきツイッターでつぶやいている次男を見ていて感じるのは、自分にはできなかった別の人生を実際に体験して見せてくれているという面白さである。
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01月01日(月)
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