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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■認知症のふりをすれば無罪ですか?


 昨年10月に横浜で、軽トラックで徘徊していた認知症の老人が運転する軽トラックが児童の列に突っ込んで小学1年生の男の子が亡くなるという事故があった。横浜地検は運転していた88歳の男性を処分保留で釈放したという。釈放ということは「処罰しない」ということである。こんなことを放置していいのか? たとえ認知症であっても犯した罪に対する責任は取らせるべきではないのか。オレは激しい憤りを感じるのだ。

 認知症で責任能力がないということならば、認知症の男性にレイプされて殺された女性は泣き寝入りしないといけないのか。コンビニで暴れる認知症の老人が人にケガをさせればどうなるのか。オレは渋滞している交差点で少し横断歩道にはみ出して停まった時に、キレた老人にクルマを蹴られたことがある。そういうおかしい連中も「認知症無罪」なのだろうか。

 交通事故を起こした高齢者はたいてい責任を認めない。ブレーキのつもりでアクセルを踏みつけて暴走した老婆が「ブレーキが効かなかった」などと言い訳する。オレはそういう報道に接するたびに絶望的な気分になる。あなたのせいで死んだ人がいる。どうしてそのことに対して罪を認めないのか、責任を取らないのかと。

 もしも事故を起こした高齢者が責任回避のために認知症のふりをすればどうか。本当は認知症ではないのにそのふりをすることで「処分保留」として釈放してもらえるのである。今回の横浜の事故はまさにその「悪しき前例」となってしまうのだ。事故を起こしても責任を取らなくていいから天下御免の暴走運転が可能になるのである。オレはそんなことを断じて認めたくない。たとえ認知症であろうとてんかんであろうと精神障害であろうと、少なくとも交通事故を起こして人を死なせたらその責任はとらないといけないとオレは思うのだ。「責任能力がない」ということが「罰を受けなくても良い」というのは違うと思うのである。もしもオレが犠牲になった小学1年生の親ならば、その老人を絶対に許さない。顔が変形するくらい殴りつけたいと思うだろう。もちろんそんなことをしても失われた命が戻るわけじゃない。しかし「責任能力がない」というのはあんまりじゃないか。

 交通事故は結果責任であるとオレは思う。オレはルールを守って安全運転をしているつもりだが、もしもオレの目の前に子どもが飛び出してきてはねてしまったら、オレは「飛び出してきた子どもが悪い」と無罪を主張する気はない。運が悪かったとあきらめて罰を受けるつもりだ。歩道に子どもがいるときは「飛び出されてもすぐに止まれるように」と慎重に運転する。そこまでの覚悟がないとクルマを運転すべきじゃないとオレは思っている。もしも認知機能に衰えが出て安全運転する自信がなくなればオレは即座に免許を返納しようと思っている。

 沖縄で20歳の女性を強姦して殺した元米海兵隊員のケネス・フランクリン・シンザト被告は、「(事件が起きたあの場所に)あの時居合わせた彼女(被害女性)が悪かった」と語っているという。強姦殺人という罪を犯したのにこんなことを主張する外道がいるわけで、そんなヤツは即座に死刑にしろよとオレは思う。自分の重大な過失や操作ミスのせいで交通事故を起こして人を死なせているのに「ブレーキが効かなかった」などと語る無責任な老人も死刑にすべきだ。もしもそこですべての過失を認め、自分のために亡くなった犠牲者に対して全身全霊でお詫びする気持ちがあるのなら「ブレーキが効かなかった」ではなくて「ブレーキとアクセルを間違えてました」と正直に語るべきだろう。なんの反省も謝罪もなく、自分を正当化するようなヤツはとっとと死刑にしてもらいたいというのがオレの持論である。

 福島第一原発の事故は、津波を想定せずに脆弱な安全設備しか考えていなかった東京電力のトップの責任だ。当時の代表取締役会長だった勝俣恒久が死刑になって「すべての責任は私一人にあります」と絞首台の前で涙を流せば、国民は事故処理のために税金を使うことを了承しただろう。あれだけの事故を起こしておきながら刑事責任を問われることもなく巨額の退職金をもらって悠々自適の生活を送ってることをオレは断じて許したくない。


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02月16日(木)
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