ID:41506
江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
[18851705hit]

■戦争に関する個人の罪と国家の罪について
 戦争犯罪というものを考えるとき、個々の事件がいったい誰の責任によるものかということをオレは考えてしまう。たとえばベトナム戦争の時に大量のベトナムの民間人が韓国兵によって虐殺されたが、これらの事件の責任者の一人は部隊の直接指揮官であった盧泰愚であり、もしもその虐殺が「殺人罪」として裁かれるなら盧泰愚を処罰すべきであった。だが盧泰愚は裁かれるどころか後に韓国大統領となった。

米軍がベトナム戦争の時に起こしたソンミ村虐殺事件では、1970年に開かれた軍事法廷で兵士14人が殺人罪で起訴されたものの、判決では指揮官のカリー中尉に終身刑が言い渡されただけで、残りの13人は証拠不十分で無罪となった。また、カリー中尉もその後減刑された上に3年後の1974年には仮釈放され、ベトナム戦争の英雄として故郷に凱旋した。(フランシス・コッポラ監督の映画、『地獄の黙示録』にはBGMを流しながら村を焼き討ちにする場面がある。)アメリカは戦争において個人の罪も国家の罪も問わないという方針を貫いている。これは今の戦争においても同様であり、アフガニスタンやイラクで誤爆して民間人を虐殺してもなんの補償もしない。

戦場での民間人の虐殺を「戦争だから仕方ない」と片付けることはオレにはできない。少なくとも兵士同士ならおたがいに武器を持って戦ってるのだからそこには「殺す側」「殺される側」にそれぞれの正当性がある。しかし、全く戦争とは関係ない一般人を無差別に大量に殺すことはいかなることがあっても正当化できない。そして、それらの行為は「殺人罪」で裁かれるべきである。広島長崎への原爆投下に関して、オレはその投下命令を行ったトルーマン大統領が戦争犯罪人の一人であると断言する。そして「大統領の罪」=「国家の罪」である。国家の指導者が行った過ちは、そのような指導者を選んだ国民の犯した罪でもある。
 歴史というものを振り返って考えるとき、そうした大量殺人に関わった国家の指導者というものはすべて歴史の中で明らかにされるべきであり、その国家を今引き継ぐ政治家たちは、自国の指導者のかつて犯した罪に対しての反省と、二度とそれを繰り返さないという誓いが必要なのではないか。

 日本の歴代の総理大臣が常に「不戦」の誓いを行ってることはその意味では実に正しいことであり、中国の国家主席があの文化大革命で数千万人を虐殺した自国の黒歴史について触れないことはオレにはとても不思議である。朝鮮戦争時の「保導連盟事件」で李承晩の命令で数十万人の韓国人が殺されたことは戦争犯罪ではないのか。「カチンの森事件」で数千人のポーランド軍捕虜が殺されたことはスターリンによる戦争犯罪ではないのか。プーチンはこの事件に関してスターリンの犯罪であることは認めたが、ロシア国民に罪はないとして謝罪はしなかった。韓国の過去の大統領で、「保導連盟事件」について国民に謝罪した者や、ベトナム国民に対して戦争時の虐殺行為を謝罪した者はいない。逆にその虐殺行為を報道した新聞社を焼き討ちにして圧力を掛けた退役軍人どもがいただけである。韓国の歴史教科書には、ベトナム戦争についてほとんど記述はされていない。中学生向けの国定教科書に記されているのは「そして、共産侵略を受けているベトナムを支援するために国軍を派兵した」の約一行のみだという。

中国や韓国やロシアの国民は、歴史についてウソばかり語る自国の政府なんかはもう見放して、ネットや日本人から正しい歴史を学び、そして日本人と国民レベルで連帯すべきではないのか。プーチンが「カチンの森事件」をスターリンの犯罪であると認めたように、習近平も文化大革命やチベット虐殺を毛沢東の犯罪であったと認めるべきである。謝罪は別に必要ない。歴史の事実を事実として認めることが政治家にとって必要なことであり、その部分で永遠にウソを吐き続けることの方がオレは許せないのである。


[5]続きを読む

05月06日(水)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る