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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■曾野綾子さんは差別発言をしたのか?


 作家の曾野綾子さんが産経新聞に掲載したコラムの中で、「外国人と居住区だけは別にした方がいい――。」と書いたことが、アパルトヘイトを容認する発言として波紋を呼んでいる。多くの国を訪問されてさまざまな文化を理解されている曾野綾子さんが、人種差別主義者であるとはオレは思えないし、少なくともコラムの文脈を正しく理解すれば、南アフリカで白人が居住していたマンションに黒人が大量に入居し、結果的に居住設備が崩壊して水道も使えなくなったという事実を記しているわけで、それがいきなり「人種差別」発言であるというのは飛躍しすぎている。

 もしも日本に外国人が移民としてやってくる場合、どんな場所に住むことを選ぶだろうか。自分と同じ国の人達が大勢暮らす街があれば、それは重要な選択肢となり得るだろう。つまり、日本国内に中国人の多い町やケニア人の多い町、ネパール人の多い町が存在すれば、それらの国の出身者たちは当初はそこに住んだ方が過ごしやすいだろう。しかし、就職や進学の際にはもちろんその居住地内では完結しないので外に出て行くことになるだろう。曾野綾子さんが書かれたのは単純にそういう発想ではなかったのか。またそうして居住地域が分かれていることによって無用な文化的な摩擦やトラブルを防ぐという意図があったのではないかと思うのだ。

 もちろんそうした居住区が形成されることはこれまでの日本社会ではあまりなかったことであり、それが新たな差別を生み出すという危惧はよくわかる。しかし、いろんな国からやってきた子どもたちが同じ小学校で机を並べて学ぶ中で、そうした人種間の壁というのは解消されていくのではないか。それこそが多文化共生であり、いつしか子どもたちは新たな友達と遊ぶために居住地域に関係なく行動するようになるのではないか。オレはそんなことを思うのである。

 オレは移民の受け入れには賛成である。そして、できれば日本が好きな外国人にどんどん日本を居住地として選んでもらいたいと思っている。グローバル化というのはただ英語を使えるようになることではない。さまざまな国の文化を理解し、お互いを尊重できる価値観を持つことだ。そのためにもさまざまな国の人々が日本で暮らすような社会になって欲しいのである。

 たとえば日本以外の国では道路に平気で大小便したり、地下鉄の車内で子どもにウンコをさせることがありふれたできごとの国があるかも知れない。それは日本のマナーとは大きくかけ離れたものである。そうした傍若無人な行動が日本社会では受け入れられないということを理解してもらうために、そして日本文化を身につけてもらうために同じ小学校で学ぶのではないか。大人たちの間には文化的なギャップが存在しても、それを埋めるのが次の世代の若者ではないのか。もちろん学校でいじめや人種差別由来のトラブルが起きないように教師は十分に配慮する必要はあるが、何より子どもたちはすぐに仲良くなれる。一緒の遊びをすることで文化や民族の垣根をこえて理解が進むはずである。

 日本で暮らすということは、日本人となることを選ぶことだとオレは考える。もしもオレがアメリカに永住しようとしたり、フィンランドに永住しようとするならばその国の人間となることを希望するだろう。それと同じように日本を愛し、日本に永住することを望む外国人はそのまま日本文化を受け入れ、同化することを選ぶべきなのだ。

 人種差別思想は西洋人の価値観であり、日本人、特に関西人にはそういう発想はない。東京では「よそ者」を受け入れない風土があるかも知れないが。大阪ではもしクラスに外国人の子どもがいても普通に受け入れて共に遊ぶのが普通である。大阪で人を計るモノサシは人種ではなく、「おもろいか、おもろないか」だけである。日本人でもつまらないヤツは人気がなくて友達ができにくいし、どこの国の人であってもおもろいヤツは人気者になれるのである。


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02月17日(火)
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