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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■小学校での英語教育にオレは反対だ!
小学校で英語が必修化されるという。この動きはもう止められないわけだが、その理由が「中学高校で6年間も勉強してるのに、英語を使いこなせないから小学校から早期教育する」ということなら笑止千万である。そんなことをしても結果は「12年も勉強してるのに使いこなせない」と変わるだけだからだ。
そもそも使いこなせないのではなく、使う人は使ってるしそうでない人はそうでない、ただそれだけのことである。なぜ教育の効果を全員に求めるのだろうか。能力や努力に差がある以上、その到達点が違っていることは当たり前である。
日本の企業が世界にその製品を売りまくって世界中にメイドインジャパンが行き渡ってるのは事実である。もしも日本の英語教育が100%ダメなものならば、そういうビジネスマンも出現しなかったわけで、英語教育がベーシックの部分を担っていて、それ以上の高度な能力の基礎となったからこそ世界に日本企業が進出できたのではないか。
英語を学ぶということは、他の何かを削るということになる。小学校では算数や国語、理科社会を学ぶ。道徳教育の必要性も取り沙汰されている。やることはたくさんあるのだ。そこに英語もやるということになれば、その分国語や算数の時間を削ったり、社会の時間を削ることになる。結果的に削られた教科科目の学力が低下することにつながるのではないか。
もちろん小学校での英語教育の成果が、他教科の学力低下以上の価値をもたらすのならば、損得勘定を考えた上で導入した方がいいということになる。ただ、算数や国語の学力低下が実際に起きれば、現場はさらに混乱するだろう。現状での学力低下や学級崩壊はもはやどうしようもないところまで来ているのだ。
もうひとつの問題点は「学力差」の発生である。小学校のうちに英語を学ぶことになれば、当然のことだがその中で学力差が発生する。英語のできる子どもとできない子どもの差が6年分つくのである。中学校入学時、こうした大きな学力差が存在する集団に対してどうやって授業を行うのだろうか。少なくとも今の中学の英語教育というのは、みんなが同じスタートラインに立つことを全体にカリキュラムが考えられているはずだ。その大前提が崩壊するのである。現場の混乱は大変なものとなる。
オレは国語教師なので当然のことながら国語の学力低下が心配になる。小学校の時は国語をしっかりやらせて欲しい。漢字を覚え、ちゃんとまともな文章が書けるように最低限の学力を身につけさせて欲しい。算数も同じだ。かけ算の九九がわからないとか分数の計算ができないとか、そんなレベルなら小学校を留年させてもらいたい。そんな児童に対して「英語教育」なんてふざけるな!と思うのである。まず小学校でやるべきことをきちんとやれと言いたい。
小学校の先生は忙しい。昔よりも問題を抱えた生徒も増えたし、家庭が崩壊していたり親によるネグレクトもある。虐待を受けている子どももいる。そうしたことを発見するためには教員の側にさまざまな余裕が必要だ。しかしなかなかそういう時間的な余裕が今の小学校・中学校の教員にはないのである。そんな中で英語教育が導入されていったいどこにしわ寄せがい行くのだろうか。オレはそれを心配しているのだ。
今は街にいくらでも塾がある。進学塾だけではなく、英語を学びたいのならいくらでも駅前留学できる。自主的に勉強したい者はそういう場所を利用すればいいだけのことだ。そして小学校で英語を学ぶようになれば当然、小学生向けの塾でも英語を教えることになる。それはますます「塾に行ける子」「塾に行けない子」の学力差を生み出すことになってしまうのだ。おそらく他の教科以上に差は大きくなるだろう。
中学高校の英語教育が、実用的な英語力につながっていないのはただ単に実際の社会生活で必要ないからである。日本語が使えればそれで十分の社会でどうして無理に英語力を高める必要があるだろうか。
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02月14日(土)
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