ID:41506
江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
[18828753hit]
■『風立ちぬ』は最高のジブリ映画である
どうかお読みになる前に←応援のクリックをお願いします! m(_ _)m
まだこの映画を観ていない人は、観てからこの日記を読んでください。
宮崎駿監督は生涯かけて何を撮りたかったのか。それを教えてくれたのがこの最新作『風立ちぬ』である。オレがこの作品を見終えた時に感じたものは、それは「自分はなぜ生きるのか?」という根源的な疑問であった。
この作品は特に面白い映画でもなければ、ハラハラドキドキするような展開があるわけでもない。ただ淡々と美しい映像で描かれているだけで、観る人によってはむしろ退屈さを感じさせるのかも知れない。そこに描かれるのは関東大震災から太平洋戦争にかけての日本である。当時国民的な病だった結核で多くの人が亡くなった。大切な恋人や家族を結核で失うことは何も特別なことではなくてありふれた日常だった。堀辰雄も堀辰雄の恋人も、立原道造も樋口一葉も滝廉太郎も石川啄木も結核で亡くなった。誰だって自分の死を黙って受け入れたわけではない。必死で生きようとしてもがき、そして最後は自分の果たせなかった夢を誰かに託した。「生きて・・・」と。生き残った者たちには、死者の想いを引き受けて生きるという使命がある。そこでオレは考える。自分はなぜ生きるのか。自分が引き受けなければならない「想い」とはいったい何なのだろうか。自分はなぜこの世に生を受けたのだろうかと。
堀越二郎は美しいモノが好きだ。美しい飛行機、美しいサバの骨、美しい風景、そして美しい菜穂子。それらをこよなく愛するのが二郎だ。
菜穂子はそんな二郎を愛している。でも結核という病を得た自分の死期もちゃんと悟っている。技術者として忙しい日々を送る二郎にとって、残りわずかな菜穂子の生と自分が寝る間も惜しんで取り組んでいる研究の時間とはどちらも大切であり、どちらもおろそかにできない瞬間の積み重ねである。仕事と愛する人とどっちが大切かと言われれば、どっちも大切なのである。そんなもの比較の対象にはならないのだ。
地震や戦争という大きな出来事に翻弄されながら、個々の存在はただ自分の生を精一杯生ききることしかできない。不幸なのは自分だけではない。関東大震災の後に訪れた昭和恐慌の中、街には失業者があふれていたし日本中にはお腹をすかせた子どもたちがいた。世の中には無数の不幸があふれかえっていて、その中で二郎も菜穂子もそうした日々の不幸とは無縁の世界を生きていた。軽井沢のホテルに滞在できるようなブルジョワ階級だったのだから。しかも二郎はタバコを手放せず、おやつにシベリアを食べていた。映画は決してあの時代の本当の不幸を描こうとしたのではない。そこに描かれているのは宮崎駿監督の夢の世界である。だから二郎と菜穂子の恋愛は美しいのである。そこには現実の生活が存在しないからだ。
宮崎駿監督は娯楽作品を作ろうとしたのではない。観る人を楽しませようという意図はなかった。ただ彼が描きたかったのは、関東大震災から太平洋戦争に至る世の中で超然として「夢に殉じて」生きた、堀越二郎と里見菜穂子という二人の若者の生である。そして映画を観る者の心を打つのは、その生の純粋さである。どうして二郎はこんなにも仕事に一生懸命なのだろうか。どんな時も計算尺を手にして数式を書き、図面を引き、いつも仕事のことを考えている。喀血した菜穂子に会いに東京に向かうときも、汽車のデッキで計算尺片手に仕事の続きをしている。菜穂子は自分の寿命を縮めるとわかっていてもその二郎のそばでしばらくの間だけでも過ごすことを選ぶ。自分の美しさが生涯で一番輝いている瞬間を愛する人に見せたいと願う。一番きれいな自分だけを見せて、そして二郎の設計した飛行機が完成すると同時に療養所に帰って行く。
オレはこの映画を観ていて三度泣いた。一度目は、軽井沢の泉で二郎と菜穂子の心が通い合ったところ、二度目は喀血した菜穂子に二郎が会いに来たところ、三度目は二人が結婚式を挙げるところである。人によって感動する場面はたぶん違うだろう。もちろんオレと同じところで涙がこみあげた人もきっといるだろう。
[5]続きを読む
08月05日(月)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る