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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■いもねぎよ永遠に
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 オレがその「わびすけ」という店に初めて入ったのはまだ大学生の頃だった。同志社大学に通うある女性と何度かデートして、その時にこの店に入ったのである。オレはメニューにあった「いもねぎ」というものが気になって、その後一人で食べに来ることとなった。当時の値段で確か500円くらいだったと思う。大学の生協食堂で食べるカレーライスが140円、ビイヤントのカレーが400円、百万遍の「まどい」のオムレツ定食が440円で食えたのに、その「いもねぎ」ははるかにそれらを上回る値段だった。学生のランチメニューにしては高いと思ったことを覚えている。これがそのいもねぎである。




 その後も京都に出かけたときにふとなつかしくなって、何度か烏丸今出川にあるその店に足を運んで「いもねぎ」を食べたことがあった。いつのまにか二階席は閉鎖されて、昔のにぎわいはなくなったが、それでも店は健在で、店内の水槽では金魚が泳いでいた。まさかその「わびすけ」がなくなってしまうとは誰が予想しただろうか。朝日新聞の記事を引用しよう。

京都の名物食堂「わびすけ」閉店へ 100年の歴史に幕 2011年6月29日
思い出の詰まった「いもねぎ定食」を運ぶ中井咲子さん=京都市上京区、高橋一徳撮影

 同志社大のそばにあり、学生や観光客らに親しまれてきた和風食堂「わびすけ」(京都市上京区)が30日、閉店する。100年近い歴史があるが、客が減り、後継者も見つからないため、第4代主人の中井咲子(さくこ)さん(78)が「心苦しおすけど……」と覚悟を決めた。
 店は、同志社大・今出川キャンパス西側の烏丸通沿いにある。町家の格子戸や使い込んだ木のテーブル、革張りの椅子が並ぶ店内は、タイムスリップしたようなレトロな雰囲気だ。
 前身は、中井さんの祖父が大正初期に開いた喫茶店「中井ミルクホール」。画家でもあった父が引き継いだ後、1957(昭和32)年に店名を「わびすけ」にした。京都の寺院などでよく見かけるツバキの一種、侘助(わびすけ)からとった。
 名物メニューは、オープン当初から続く「いもねぎ定食」(900円)。刻んだジャガイモとタマネギを炒めて卵でとじ合わせ、ミンチ肉を載せたもので、好みでケチャップやしょうゆなどをかける。
 素朴で家庭的な味と、皿からあふれるほどのボリュームが受け、学生や近所の住民に人気が出た。元衆議院議長の土井たか子さんは法学部生だったころからの常連。ニュースキャスターの故筑紫哲也さんや、歌手の小田和正さんは京都に来るたびに顔を出した。ガイドブックにも頻繁に掲載され、観光客も訪れた。

 なななんと、小田和正さんも来ていたのか。オレはこの新聞記事を読んでめちゃんこ驚いた。店で遭遇できればどれほど嬉しかっただろうか。土井たか子や筑紫哲也はどうでもいいが、小田和正さんとはぜひとも逢いたいのである。コンサートを見に行ったのは遠い過去のことだ。記事の中では「好みでケチャップやしょうゆ」とあるが、オレはいつもウスターソースを掛けた。

名物いもねぎ 最後の完食2011年07月01日
 同志社大学前にある京都の名物食堂「わびすけ」(上京区)が30日、100年の歴史に幕を閉じた。別れを惜しむ人が詰めかけ=写真=、昼時には行列ができた。
 ほとんどの人は、ジャガイモとタマネギの卵とじにミンチ肉をのせた名物の定食「いもねぎ」を注文。食材は多めに用意したが、昼すぎには売り切れた。
 同志社大OBの塩崎健吉さん(76)=北区=は「どうしても最後のいもねぎが食べたくて。こんなにいい店が消えていくなんて、学生気質も変わったのかなあ」と残念そうだった。
 食堂は建て替えられ、貸しビルになる予定。店主の中井咲子(さくこ)さん(78)は「皆さんにつぶさんといてな、と言われていたので申し訳ないですが、最後まで愛していただき本望です」と語った。


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07月05日(火)
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