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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■周囲からバカと思われて生きていくこと
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 文中に「バカ」という語が何度か出てきますが、他に適当な語が思い浮かばなかったものですからすみません。先にお詫びしておきます。


 大阪府下のとある高校で制服反対運動が起きた。生徒たちの主張は「服装は個性の表現だ!」「自由に好きな服を着て個性を表現したい」「校則や制服の押しつけに反対する」ということだったが、その高校は入学試験の偏差値が30台で、中途退学者も多く、かなり荒れた状況だった。制服に反対する彼らの本音は「この制服を着てるだけでバカと思われてカッコ悪い」だったのである。彼らにとって、「自由」とか「個性」というのはただの詭弁であり、通学の電車の中とか街中でその制服を着ていること自体が苦痛というのが本音だったわけだ。なんと情けない連中かとオレはあきれた。

 カッコ悪いのならばその高校に行かなかったらいいわけだが、それ以外の選択肢となると普通科よりも入りやすい農業科や工業科などの職業科や定時制、授業料の高い私立高校か中卒での就職ということになってしまう。そういうわけでその学校に不本意ながら入学したわけだが、周囲からバカと思われたくないというプライドはあるわけで、それが「制服反対」という方向に向かったのである。

 オレはこの現象をとても不思議なことだと思う。だって、「勉強しない」というのは自分から選び取ったことではないのか。小学校の時からずっと勉強するチャンスはあった。教室で先生の話をよく聞いて授業に参加し、宿題をちゃんと解き、普通に勉強していれば絶対に30台の偏差値にはならない。

 オレがこういうことを書くと、よく「いくらやってもできないときはどうすればいいんですか?」と反論される。しかし、いくらやってもできないというその主張は本当に「いくらやっても」なのか。友人の解答を丸写しするだけが「宿題」を仕上げることと勘違いし、授業中にろくに先生の話を聞いていないでボーッとしていて、家で5分間だけ机に向かって「あーわからん、やってもでけへんわ」とつぶやく。そんな連中がおこがましくも「いくらやっても」と言えるだろうか。

 実際は「いくらやっても」ではなくて、「いくらどころか全然やってないけど」なのである。「授業集中しないで居眠りしたり授業妨害したり漫画読んでいたりする」「宿題はやらずに遊びまくる」「先生の注意も、親の小言も無視して遊び倒す」という人生を自ら選び取った結果が「ちっとも成績が上がらない自分」なのであり、「授業がちんぷんかんぷん」な状況なのである。

 好成績を取るのはなかなか困難だ。かなり努力しないとクラスでの上位にはなれないだろう。しかし、九九や分数を理解し、簡単な因数分解くらいはできる計算能力を身につけ、動詞の不規則変化を覚える程度のことならさほど困難なこととは思えない。それなのに「go」の過去形は?と問われて「goed」と答えるような高校生が底辺校と呼ばれる世界には無数に存在するのである。まだ「ed」を語尾につけると知ってるだけでもかなりマシな方かも知れない。好成績を取ることと同様に、極めつけのバカになることもまたなかなか困難なのである。

 そうなってしまうのは不可避のことだろうか? 毎日異常な量を食いまくればどんどん肥満していくだろうし、全然勉強しなかったらバカになっていく。そんなこと自明の理である。つまり「自ら選んでバカになる」という選択肢がこの世には存在するのである。

 オレは高校生の頃にがんばって受験勉強したが、それは何も持たなかったからである。イケメンでもなく、大金持ちの息子でもなかったオレにとって受験勉強するというのは「学歴」という武器を手にするために必要な努力だった。もしも何もしなくても金持ちで美貌の女性が寄ってくるようなイケメンだったり、働かなくても生活できるような大金持ちの息子だったらきっと受験勉強などしなかっただろう。何も持たずに社会に出るような勇気はなかったのだ。せめて学歴くらいは手に入れてから社会人になろうと思ったのだ。


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05月09日(月)
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