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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■大相撲が八百長でもいいじゃないか
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オレは気になって「八百長」というコトバの語源を調べてみた。明治時代の八百屋の店主であった長兵衛は通称を「八百長(やおちょう)」といい、大相撲の年寄・伊勢ノ海五太夫と囲碁仲間であったという。囲碁の実力は長兵衛が優っていたが、八百屋の商品を買ってもらいたい商売上の打算から、わざと負けたりして伊勢ノ海五太夫の機嫌をとっていたのがそもそもの語源で、このように実力では上回る側が「わざと負ける」場合に「八百屋の長兵衛」から「八百長」というコトバが誕生したわけで、もともと「八百長」と相撲との関わりは深かったのである。
相撲がもしも「スポーツ」ならば、フェアプレーの精神で公正に行われなければならない。しかし、あれが果たしてスポーツと言えるだろうか。不健康に巨大化した醜い肉体の男たちが、まわしというほとんど全裸に近い衣装でケツを丸出しにして戦う儀式がそもそもスポーツと呼ぶのにふさわしいだろうか。あれは日本の伝統芸能であり、ショーである。競技者はそれぞれ「部屋」と呼ばれる小さな集団に所属しているが、同じような相手と年中対戦しているわけでみんな顔なじみであり、場所が終われば一緒に酒を飲んだり麻雀をしたり野球賭博をしたりするオトモダチである。そんなオトモダチの間でどうして真剣勝負が成り立つだろうか。
いつも親しくしているオトモダチが7勝7敗である。千秋楽に勝ち越したいと思ってるそのオトモダチに星を譲ってやるというのは思いやりからくる行動であり美徳である。もちろんその借りは別の時に返してもらえる。借りを作ったままというわけにもいかない。そんなことをどうしていちいち目くじら立てて問題にするのか。別にかまわないじゃないか。「和を以って貴しと為す」というのが日本文化なのである。
カド番を経験して弱かったはずの大関が急に強くなって連続優勝し、横綱で終わったという例をオレは何度か見た。もちろん大関で終わるか横綱になれるかという違いは大きいわけで、そのため八百長を仕組んでまでもという力士がいてもおかしくない。星一つを100万円で勝って、2場所連続優勝するために3000万円近く使ったとしても、横綱になれば十分に取り戻せる。一度横綱になれば二度と降格することもない。これまでのそうした事例に八百長が介在したとなかったのかどうかを検証する術はない。すべて過去の話である。しかし、大相撲が伝統芸能であり、興行のために横綱という看板を必要としていたことを考えれば「八百長ででも横綱を出したい」という作為が成立する背景は十分に考えられる。それが事実だからこそ過去の八百長疑惑では必死でもみ消そうとして出版社を訴えたりしてきたのではないだろうか。
プロレスにはシナリオがあって、決められたシナリオ通りにレスラーたちは戦ってるという。いかにそのシナリオ通りに技を掛け、場外乱闘し、しかも致命的なケガはしないように戦うのか、彼らは鍛えられているのである。大相撲がなぜそういうものとして認知されなかったのだろうか。どちらもゼニをとって観客に見せるという点ではただの興行であり、チケットの販売を巡ってヤクザと密接な関わりを持つことも事実であるし、そのヤクザと賭博なんかでズブズブの関係になっていたとして誰が責められるだろうか。昔からの体質の中に存在したものを、後から決めたルールを適用して問題にする必要があるのかとオレは言いたいのである。大相撲に八百長が存在してどこが悪いのかと。
オレはかつて相撲が好きだった。オレが子どもの頃のヒーローは玉の海だった。北の富士や大鵬といった名横綱たちとの死闘がなつかしいぜ。彼が27歳で急逝した時、オレはものすごいショックを受けたことを覚えている。
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02月04日(金)
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