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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■8月15日〜終戦の日に思う
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1945年8月15日から今日で63年目である。国会議員も過半数がもう戦後世代になってしまったかも知れない。オレの両親は戦前生まれだが、あの時代の苦しかったことはあまり思い出したくないようである。昭和3年生まれの父は、いつかは自分も戦争に行って死ぬものだとずっと思っていたそうである。伯父は上海で終戦を迎えた。人々の記憶からいつのまにか戦争の事実がどんどん失われていき、バーチャルでしか戦争を知らない人たちばかりになっていく。湾岸戦争やイラク侵略のような、アメリカが圧倒的な戦力で一方的に攻撃するタイプの戦争ばかりを人々は見せられて、現実感を喪失していく。その爆撃の下では多くの人命が失われているのに、それは報道されない。放送倫理にひっかかるのかも知れないが、無惨に手足のちぎれた死体やひどい傷を負った人は映せないからである。そういうわけで戦争の現実はオレたちに見えなくされている。
北京オリンピックの開会式のその日、ロシアとグルジアは南オセチア自治区で衝突した。地上軍による激しい戦闘が行われ、劣勢のグルジア軍が撤退することになってロシアの軍隊が南オセチアに入り、市民に「解放軍」として迎えられたと(これはおそらくロシア側の報道だろう)のことである。住民の犠牲は数千人にのぼるという。多くの人々が居住する都市にミサイルを撃ち込んだり爆弾を投下したりという残虐なことを平気でできる連中がいて、その命令を出したヤツらが法的責任を問われることもない。殺人なんてものが罰せられるのは個人対個人の場合だけで、それが国家的に行われた時は罪ではなくなるらしい。だから原爆投下のような非人道的行為もアメリカでは肯定されているのだろう。
平和憲法を遵守する日本政府としてもっとも大切なことは、このロシアとグルジアの軍事行動に対して真っ先に強い非難声明を出すことではなかったのか。福田総理はそのときいったい何をしていたのか。なぜ日本は「平和憲法を持つ国家」としてのスタンスを強く世界に示さないのか。オレはそれが不思議なのだ。それとも、そんなことは忘れて、アメリカの侵略戦争に荷担する同盟国として、どこにでもある普通の国になってしまうのか。なぜ日本は世界にその独自性をアピールしないのか。地雷や武器ではなく任天堂やソニーのゲーム機を世界に行き渡らせたいとなぜ政治家が語らないのか。人々を不幸にする道具ではなく、人々の生活を豊かにするものを世界に送り出すのが平和国家である日本の使命であると、なぜもっと強く意識できないのかと。そんな志のある政治家が誰もいないのかとオレは嘆くのである。
戦争は誰も幸せにしない。世界の国々が軍備なんてものにゼニを使わなかったら、どれだけ貧しい人々の暮らしを豊かにできるだろうか。ところが実際はそうではなく、アフリカの貧しい国が屈強な軍隊を持ち、援助として送られたゼニで武器を購入し、政治指導者がそれを私兵として使っていたりする。スーダンのダルフール地方のように地下資源が発見されれば、その地に住む住民は土地を奪われ、迫害や虐殺という悲劇が発生する。日本という国家の方向性というのは、決してアメリカの同盟国、いや属国となってその侵略戦争を熱烈に支持することではなく、世界各国の軍備を否定し、軍縮ではなく軍備の放棄を強くアピールすることではなかったのか。
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08月15日(金)
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