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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■大阪で一番おいしいお好み焼き屋さんの閉店
ブログランキングの投票いつもありがとうございます。1位が目標ですのでよろしくお願いします。 4月12日の日記「遺棄化学兵器で金儲けする売国奴たち」も力作ですのでぜひお読みください。写真日記では3万円ノートパソコンを特集しています。
オレはお好み焼きが好きだ。いつ頃から好きなのか自分でもよくわからないのだが、とにかく物心ついたときからオレはお好み焼きが好きだった。子どもの頃、母が八尾の亀井にあった卸売市場の近くのお好み焼きに連れて行ってくれたことを覚えている。両親のお手伝いをして露天商についていった時、お昼にお好み焼きを食べることも多かった。しかし、自分で一人で行くようになった最初の店は、河内天美にある「和美」という店だった。その店は私の紹介する こだわりの店の中にもいれてある。数多くのお好み焼き屋をオレは制覇したが、自分が一番美味しいと感じるのはその店の味だった。なぜそうなのかはわからない。しかし、少なくとも自分にとってはその味がまぎれもなく「大阪で一番うまいお好み焼き屋」だったのだ。
学生時代を過ごした京都では、先斗町の歌舞練場の西の、もとはお茶屋さんだったという建物の「千富」というお好み焼き屋さんがお気に入りだった。大阪市内ではJR天満駅近くの「菊水」という店がけっこうオレのお気に入りだった。しかし、どちらもお好み焼きの値段は結構高かった。オレにとって「安いけど一番おいしい」店として、河内天美にあるその「和美」という店は存在していたのだ。イカ玉が340円、肉モダン焼きが430円、焼きそば大が400円という昔のままの値段でその店はひっそりと路地裏に存在し、大学を出てから実家に帰って田舎教師になった自分にとって、その店の味がそのままであることはとても嬉しかった。
働いていたスーパーが倒産して、父が家で過ごすようになってからは日曜日や土曜日に父を連れてオレはよくその「和美」に出かけた。その店で父とお好み焼きや焼きそばを一緒に食べる時間は、まぎれもなくオレたち親子にとって至福の時間だったのだ。オレが「おとうちゃん、お好み食べに行くか?」と訊くと父はいつも喜んで返事をした。父の再就職が決まるまで、オレは毎週のように父と二人で日曜日の昼に出かけたものである。
いつものようにオレはお好み焼きを食おうと思って、いつもの駐車場にクルマを入れてからいそいそと河内天美駅前の踏切を渡り、交番の前のパチンコ屋の横の路地を入った。いつも流れてくるソースの香りがしなかったので「あれっ?休みなのかな」と思って店の前まで行くと、そこにはこんな張り紙があった。オレは言葉を失った。
もう二度とあのおいしいお好み焼きを食べられないのかと思うと、なぜもっと毎日のように来なかったのかとオレは悲しくなった。3月で閉店するとわかっていたなら、3月中に自分の知る限りの友人を連れて、その店のおいしいお好み焼きを味わってもらえばよかったのに・・・とオレは悲しくなったのである。オレがその店のおいしさを語るとき、そのコトバは「一度実際に食べてくれたらわかるよ」という裏付けのあるコトバだった。しかし、もうその店は存在しないのである。オレがどんなに熱くその店のお好み焼きを語ったとしても、もはやその事実はオレの記憶の中にしか存在しないのである。なんということだろうか。
40年の長きにわたってその店はずっとその地で営業してきた。開店したときに30歳なら今は70歳ということになる。お昼時には超満員になるお店で毎日お好み焼きを焼き続けるという激務がどれほど肉体的にハードなモノであるか、オレには想像もつかない。お店でお好み焼きを焼いていたおばちゃんも40年分しっかりと年をとったのである。確かに焼きそばを焼くその手つきが昔のようなてきぱきとした感じじゃなくなったなあとは思った。そして、40年間、お店を切り盛りするスタッフはほとんどそのままだった。お嬢さんかお嫁さんに見える方が加わったくらいで他はそのままだった。
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04月14日(月)
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