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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■戦争論〜 なぜ殺人が合法なのか
以前に書いた戦争論はここにあります。「8月6日(原爆投下の日)に思うこと」
この世でもっとも大きな罪は、他者の生命を奪うことである。殺人を罪としない法体系を持つ国は世界のどこにも存在しない。しかし、たった一つ殺人が罰せられないケースが存在し、それが戦争に於ける殺人である。敵の兵士を一人でも多く殺すことが戦争の目的であり、そこでは殺人というのは称賛される行為とされる。多くの敵兵を殺した兵士は英雄として勲章をもらったりするのだ。オレが反戦思想を持つ最大の理由は、「殺人が合法である世界などまともじゃない」に尽きる。
ただ、殺してもよいのはあくまで敵の兵士、つまり戦闘員だけであり、非戦闘員を殺害することは戦争犯罪とされるはずである。ところが第二次大戦以降の戦争に於いては、一般市民の居住する都市への爆撃が戦闘行為の中に含まれるようになってしまい、その行為自体は非難はされても戦争犯罪として訴追をうけることはなくなった。イラク戦争でもユーゴ内戦でも、爆撃によって多くの一般市民の犠牲者が出たが、その爆撃を行った兵士が市民の犠牲に対して責任を追及されることはなかった。
なぜ一般市民を無差別に殺してもいいのか。太平洋戦争の時に日本を空襲して多くの市民を虐殺した米軍兵士の行為を戦争に於ける「普通の行為」と認定して戦争犯罪として裁かなかった以上、それ以降の同様の行為はすべて戦争犯罪ではなくなったのである。オレはそのように解釈している。戦勝国側の手による市民の虐殺は合法なのだ。それが罪になるのは戦争に負けてからのことである。戦勝国側にいればどんな残虐行為をしていてもOKなのである。
ここで最初の定義に戻るが、なぜ戦争に於ける殺人は合法なのか。その理由付けの一つとしてオレは「双方とも武装してること」を考えたい。相手も武器を持ってる以上、殺さなければ自分が殺される。だから相手を殺すのだと考えればひとつの説明になるような気がする。一種の正当防衛なのだ。戦争というのは双方が殺し合うフィールドであり、そこで敵の兵士を殺すということは自分にとっての生存条件という考え方だ。
もしも自分の生命が100%安全だったら、無理に相手を殺す必要もない。そういう観点に立てば、戦闘能力を失った敵兵や、最初から戦闘能力を持たない市民を殺すことはルール違反であり、戦闘能力を持ってるかどうかわからない民間人(いわゆるゲリラ兵士)を殺すのは自己の身を守るための行為ということになる。
南京事件とユダヤ人に対する民族虐殺を同列に論じようとしたのは、ナチスの犯した罪を薄めようとしたドイツ人ジャーナリストたちだったという説を聞いたことがあるが、兵士が軍服を脱ぎ捨てて市民に紛れ込んだために起きた南京城内での悲劇は戦闘継続時に於けるできごとであり、ユダヤ人を一方的に根絶やしにしようとしたナチスドイツの犯罪とは全く性格を異にする。ユダヤ人虐殺に比肩しうる戦争犯罪は原爆の投下や東京大空襲であって断じて南京事件ではないとオレは主張するのである。いや、ユダヤ人虐殺は戦争犯罪ですらない。一つの政府による特定民族への私刑である。ナチスドイツはあの戦争をしていなかったとしてもユダヤ人虐殺はしていただろう。
戦争以外の場所で人を殺すのは犯罪だ。太平洋戦争の時、サイパン島やレイテ島、沖縄は戦場だったかも知れないが、広島や長崎、東京は少なくとも戦場ではない。そこにいる無辜の一般市民を殺すことは犯罪である。ところが戦場では逆に殺さないことが恥とされてしまうのだ。
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08月16日(水)
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