ID:41506
江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
[18829208hit]

■時によりすぐれば民の嘆きなり
 活発な梅雨前線は九州南部や長野県に記録的な豪雨を降らせ、多くの被害をもたらした。オレはテレビで濁流が流れる映像を見ながら、その川に掛かる橋の上を平気でクルマが何台も走ってることに驚いたのである。おいおい、もしも流木でもぶつかって橋が突然崩れたらどうするんだ。命がないぞ。そんなに激しく流れているのにあんな華奢な橋桁で大丈夫なのか。と自分なら絶対にそんな橋をクルマで渡れないなあと思ったのだ。コイズミのおっさんが今回の水害のことをどんなふうに思ったかはわからないが、鎌倉幕府の三代将軍、源実朝は20歳の時に次のような和歌を詠んだ。みごとな絶詠である。

 時により過ぐれば民の嘆きなり八大竜王雨やめたまへ
(恵みの雨も、時によって降りすぎると民の嘆きになります。八大竜王よどうか雨をやめてください。)

 長雨に困窮する民衆のために、彼が名ばかりの将軍とは言え、為政者としての責任を果たすためにただ一心に念じた和歌である。実朝は万葉調を意識したのでもなければ、この歌がすぐれた作品であるという自負があったわけでもない。ただ心の底からあふれ出る心情を素直に歌っただけのことである。そして、天賦の才というのはそういう時に発揮されるのだ。推敲して苦心することもなくただ思いのままに和歌を吐き出せばそれが珠玉の作となる。天才とはそういうものだ。きっとすぐれたブログライターも指が勝手にキーボードの上を動くのだろう。

 鎌倉幕府の2代将軍であり、実朝の兄であった頼家は、将軍になってすぐに無理に出家させられ、将軍職を弟の実朝に譲らされた後、修善寺に幽閉され祖父の北条時政に謀殺された。あるいは頼家の母親の政子がなんらかの形でこの頼家殺しにはかかわっていたのかも知れない。当時13歳だった実朝の心に、この事件が大きな陰を落としていたことは容易に想像できる。そういう背景から次の和歌を鑑賞すればどうだろうか。

 物言はぬ四方の獣(よものけだもの)すらだにも哀れなるかなや親の子を思ふ
(ものを言わない、いたるところにいる獣であってさえもなんと感動的なことか。親が子を愛するということは。)

 権力闘争に明け暮れ、自分の血縁の者の命でさえ平気で奪ってしまう連中に対して、実朝がこの和歌で訴えたかったことは明白である。おまえたちなどケダモノ以下の存在なのだと、彼は嘆いているのである。和田義盛、畠山重忠、梶原景時といった頼朝と共に戦い鎌倉幕府の基礎を築いたはずの御家人たちは次々とあえない最後を遂げた。

 大海の磯もとどろに寄する波割れて砕けてさけて散るかも
(大海の磯もとどろくばかりに激しく打ち寄せてくる波は、割れて、砕けて裂けて、飛び散っているよ。)

 雄大な自然の光景を的確にとらえ、まるでビデオをコマ送りして瞬間の静止画像を切り取ったように精細に描いた歌である。この和歌から「力強さ」「豪快さ」を単純に感じとる人もいるようだが、私にはそうは思えないのである。小林秀雄は「大海に向かって心開けた人に、この様な発想の到底不可能なことを思うなら、青年の生理的とも言いたいような憂悶を感じないであろうか」と書いている。私もその意見に賛成だ。自分の不幸を見つめながらじっと波に見入ってしまう青年の憂いがこの和歌からは感じられる。しかし、自分の意志で生きられなかった実朝には、「自殺」などは思いもよらなかったはずである。
「割れて、砕けて、さけて、散る」というフレ−ズは、鶴岡八幡宮での無惨な死をどこか暗示していたような気がしてならない。
 実朝の私家集である金槐和歌集の最後には次の和歌が配されている。

 山は裂け海はあせなむ世なりとも君に二心わがあらめやも
(たとえ山は裂けて海は干上がってしまうような世が来ても、わが君に謀反の心を抱くようなことが私にありましょうか、決してそのようなことはございません。)


[5]続きを読む

07月24日(月)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る