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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■それを心中なんかと呼ぶな!
 心中ということばを最初に使ったのは誰だろうか。近松門左衛門の名作「曽根崎心中」「心中天の網島」では、極端に美化された愛の姿が描かれる。現世では添い遂げられない二人が来世で結ばれることを願って死ぬのだ。その心中物語は爆発的な人気を呼び、おかげで江戸時代は心中が大流行してしまったくらいである。

 ここで誤解してはならないことは、心中=自殺ではないことである。どうも世間では、複数の人間(特に家族や恋人)が一緒に死ぬことをすべて「心中」と呼びたがるのだが、心中というのはお互いが合意して初めて成立するのである。例えばストーカー野郎が自分のことを好きになってくれない女性をむりやりクルマに乗せてそのまま崖から転落して死んだ場合、そんなものを「心中」とは呼べないだろう。それはただの殺人である。ところが馬鹿新聞の中にはこういう事件まで心中の名を冠して掲載していたりするのである。そんな「心中」の使い方をすれば近松先生に申し訳ないのである。

 「相手の同意を得ないで無理矢理にやっちゃう心中」に対して多くの新聞は「無理心中」という語をあてはめてそれを多用しているみたいである。たとえばこの事件はどうだ。



 1月25日午前0時40分ごろ、宮城県本吉町、配管工吉田克己さん(36歳)方の居間で、妻のゆかりさん(33歳)が顔から血を流して死亡しているのを、兄からの通報で駆け付けた気仙沼署員が発見した。さらに同2時30分ごろ、同県松島町内の駐車場に止められた乗用車の中で、吉田さんと長男天真(たかまさ)ちゃん(6歳)、長女和沙(なぎさ)ちゃん(2歳)の3人が遺体で発見された。調べでは、ゆかりさんは顔を鈍器のようなもので殴られ、死後2、3日が過ぎていた。また、乗用車内には練炭がたかれた跡があったという。


 この事件に対して、見出しは「妻を殺害後、2児道連れに無理心中か…」となっている。ここでもやはり無理心中という語が用いられてるわけである。どうもオレには納得がいかない。凶器に使われたこの鈍器とはどうも金づちらしい。顔面を金づちで殴って殺すという残虐な行為が、果たして「心中」という名に値するのか。愛する者の命を奪うのにもっと別の方法はなかったのか。そんなもので殴られたら痛いじゃないか。どうせ殺すにしてもできるだけ痛くない方法で命を奪うのが思いやりじゃないのか。オレならそんな方法は使わない、いやオレはそもそも心中なんかしないのである。

 この残虐な行為にオレは別の名称を与えたい。それは「殺人自殺」である。「自殺するときについでに巻き添えに人を殺す」ということであり、極端な話、死刑になるために大量の小学生を殺したあの宅間守の行為もまた「殺人自殺」のひとつの類型といえるだろう。自殺したいのなら自分一人で死ねばいいのである。日本のような高福祉国家では、親が心中して孤児になっても子供はたくましく生きていけるのである。それどころか親にも別に死ぬ必要などないのである。借金を苦にしてというが、ゼニなんか無くても生きていけるのである。いま日本に働かずに国からゼニをもらって暮らしている人がいったいどれだけいるかわかってるのか。大阪府なんか生活保護の受給率が全国一位なのである。地域によっては人口の1割くらいがもらっているのである。そんなこと普通のことなのである。破産して一文無しになっても命まで奪われることはない。それが日本なのだ。

 どんなに貧乏でも生きている方がマシである。それでも親がどうしても貧乏がいやなら、自分たちだけ死ねばいい。子供だけは道連れにしないでくれ。子供たちは孤児院に入ったりすることになるわけだが、その後の人生はまだわからない。無限の可能性がそこに残ってるのである。ところが道連れにして殺してしまえばすべての可能性が奪われるのだ。それがどれほど残酷なことかわかってるのか。親の自己満足や勝手な思いこみで子供を道連れに殺すと言うことがどれほど間違ったことであるかを世間に伝えるためにも、「無理心中」という語の使用はやめて、かわりに「殺人自殺」という言葉を使ってもらいたい。それだけでこの愚かな行為は激減するだろう。子供を道連れに殺すという行為の罪深さに多くの大人が気づくだろう。


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01月26日(木)
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