ID:41506
江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■Qちゃんと円谷幸吉
オレは正直言って高橋尚子が復活できるなんて思っていなかった。競技者として頂点に立った人間が、その絶頂を維持し続けることがどれほど困難なことかを考えれば、一度その頂点から降りた選手が再びそれだけのレベルに到達するのはほとんど不可能だと思ったからだ。ハーフマラソンに出て笑顔で走る彼女の姿を見ながら、これからは「元マラソンランナー」でレースに出るのかと思っていたくらいだ。
ところが全くオレの予想は覆された。選手としては完全に終わったと思われた状況から奇跡の復活を遂げて東京国際女子マラソンで優勝した高橋尚子を見ながら、オレはあの悲劇のマラソンランナーを思い出していた。彼の名は円谷幸吉、東京オリンピックの銅メダリストである。思うように走れなくなって絶望して死を選んだ彼は、「次は金メダルを」という周囲の重圧に耐えながらいったい何を考えたのだろうかと。円谷の遺書をここに全文引用したい。
父上様、母上様。三日とろろ美味しうございました。干し柿、モチも美味しうございました。敏雄兄、姉上様、おすし美味しうございました。
克美兄、姉上様、ブドウ酒とリンゴ美味しうございました。
巌兄、姉上様、しそめし、南ばん漬け美味しうございました。
喜久造兄、姉上様。ブドウ液、養命酒美味しうございました。又、いつも洗濯ありがとうございました。
幸造兄、姉上様、往復車に便乗させて戴きありがとうございました。モンゴいか美味しうございました。
正男兄、姉上様、お気を煩わして大変申しわけありませんでした。
幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キ−ちゃん、正嗣君、立派な人になって下さい。
父上様、母上様、幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
何卒お許し下さい。
気が安まることもなく御苦労、ご心配をお掛け致し申しわけありません。
幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。
昭和43年1月9日未明、この遺書を残して円谷幸吉は頚動脈を剃刀で切り、血塗れになって死んだ。オレは福島県須賀川市にある彼の生家で、血染めのこの遺書を読んだ。そして、なぜ彼は死んだのか、どうして死ななければならない理由があったのかずっと考え続けた。その問いに対する答えは出るわけがないのだが。
彼の一番有名なエピソ−ドと言えば、やはり幼い頃の運動会の徒競走の話だろう。一着でゴ−ルインした彼は、あとで父親から罵倒される。その理由は走っている時に、ふっと後ろが気になって振り向いたからだそうだ。
「男が走っている最中にうしろをうかがうなんていうみっともないマネをするんじゃねえ! 自分を信じれば後ろを見る必要などないっ!人が追いかけてこないから安心だなんていうのはよこしまな考えだ!」
このように父から厳しく言われた幸吉少年は、それからあとのレ−スでは常にこの教えを守り続けた。「駆け引き」という武器を彼は初めから放棄していたのである。東京オリンピックの時に、ゴ−ル寸前でヒ−トリ−に抜かれてしまい彼が3着になった理由のひとつには、初めからこの「駆け引き」を放棄したことがあったのかも知れない。
自衛隊の制服を好んで着用し、規律正しい行動を常に心がけた彼は「規矩の人」だったという。初めて出場した中日マラソンで彼が有名になったのは5位という成績よりも、自分の飲んだジュ−ス容器を投げ捨てられずにためらったその行為によってというのも印象的だ。布団の上げ下ろしは自分でやる、朝起きれば気持ちのいい挨拶をする。フロに入るときはきれいに衣服をたたんで置く。彼は合宿先の宿屋の人から常に絶対の人気を得たそうである。そして、過酷な練習メニュ−にも決して弱音を吐かない彼は「忍耐」の人でもあった。彼は少年時代、特に目立つ少年ではなく、陸上部に籍はおいていたが、特に速いランナ−でもなかったそうだ。ただ、国語の成績だけがずば抜けてよくできる子だったらしい。そんな部分にも私は彼の「繊細さ」や「あやうさ」を感じてしまうのである。
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11月22日(火)
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