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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■冤罪が怖くて死刑を廃止せよという馬鹿へ
冤罪による死刑の誤執行を恐れる余り「死刑そのものを廃止せよ」という議論をする連中は、そもそもこの「リスクとベネフィット」のそれぞれの重さを認識していない。もしかしたら10年に一人くらい「冤罪による死刑の誤執行」というのは起きているのかも知れないが、それは死刑そのものを廃止するほどのリスクではないとオレは思うのだ。たしかに自分がその「冤罪による死刑の誤執行」の犠牲者であったとすればその悲劇の重さは計り知れないわけだ。しかし、社会全体で見た場合、そのようなことが起きる確率は限りなく小さいのである。それはほとんど考える必要のないリスクである。
予防接種の副作用による死者が100万人に一人の割合で出るからとその予防接種を廃止するだろうか。予防接種のもたらすベネフィットがそのリスクを上回るから我々の社会はそれを受け入れているのである。ゆえに「冤罪による死刑の誤執行をなくすために死刑廃止せよ」というのはとんでもない暴論である。もしも「HIV感染を防ぐためにセックスを禁止しろ」と言えば「あほか!」と思うだろう。しかし、同性愛も含めたすべてのセックスを禁止してしまえば、身体の接触によるHIVウイルスの感染は100%防ぐことができるのである。その意味で「セックス禁止」というのはあながち間違った主張とは言えないことになる。もしかしたら赤道以南のアフリカ諸国で、HIVウイルスの感染率が10%をこえているような国では政治家がまじめに「セックス禁止」を議論しているかも知れないのだが。
「1万人の罪ある人を無罪にしても、一人の罪なき人を死刑にしてはならない」という荒唐無稽な理想論をぶった団藤重光さんという方がつい先日亡くなったが、オレの考えは違う。「1万人の有罪の中には、もしかしたら一人の無実のものがまじってるかも知れないが、そのために1万人すべてを無罪になどとうていできない」という立場である。
この「リスクとベネフィット」の話をするとすぐに原発問題を持ち出す方がいるが、原発は「リスク」ではなくて「デインジャー」だとオレは思っている。リスクというのはゼニで解決できるが、デインジャーならば人類が滅亡するのでもはや回復不能だという意味である。文明社会にわざわざ持ち込まれたデインジャーがすなわち原発である。
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07月31日(火)
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