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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■なぜ死刑が必要なのか
ただ、冤罪をふせぐための仕組みは存在する。日本は三審制だし、仮に死刑判決が確定しても再審請求もできるし、法務大臣が「冤罪かも?」と疑問を感じるものは死刑執行命令を出さないし、何重にも冤罪をふせぐための仕組みが存在する。帝銀事件の平沢死刑囚は結局執行されないままに獄中死したが、多くの法務大臣は彼の冤罪の可能性を思って執行命令を下さなかったのである。たまってる死刑囚を一掃したあの法務大臣、田中伊佐治でさえも平沢には死刑執行できなかったのだ。死刑相当の犯罪であっても死刑にせずに無期懲役にして再審の可能性を残す場合もある。それによって救われた人も大勢いる。足利事件の菅家さんのようにちゃんと無実の人は救済されてきたのだ。自白偏重主義から証拠主義に警察の姿勢も大きく変わった。取り調べの過程は可視化され、録音録画されたものが法廷でも証拠資料として使用できるようになった。冤罪が起きてもいいなんて検察も警察も思ってはいない。むしろ恥だと思っているはずだ。だから疑わしくてもなかなか起訴できないものも多い。次々とある人間に関係した人が死ぬ連続保険金殺人なども、状況証拠が揃っていても警察はなかなか動き出せずにいつもマスコミに先を越されている。冤罪を恐れる余り臆病すぎるのが今の状況なのである。
死刑を廃止していて終身刑もなく、最高刑が禁固21年というノルウェーの刑務所はまるで高級ホテルのような居心地である。看守と受刑者が一緒に談笑しながら焼きたてのパンを食べたり、受刑者の利用する売店でステーキ用の肉が売られていたりするのである。その「人権大国」のノルウェーでさえも数十人を虐殺した無差別テロの犯人に対しては「死刑の必要」を感じる人も多いのである。無差別に数十人を殺そうとする行為が「教育刑」ではもはや矯正不可能だと誰もが思っているからである。
死刑の必要性を説くならば、まず教育刑と応報刑の違いから説明しないとだめだ。死刑にするというのは「こんなクズ野郎は改善不可」と社会がさじを投げることである。教育の効果が全否定された時、残るのは「応報」つまりそいつのやった行為を命で償わせることだけである。被害者遺族による復讐である。ただ直接手を下せないので国家がそれを代わりに行ってくれるのである。だからこそ応報刑としての死刑は必要なのである。
死刑が他の刑罰と同列に論じられない、つまり「刑罰ではない別の何か」であることをご理解してくだされば、その必要論も論理的に説明できるとオレは思うのだ。一時の感情に流されて「死刑!」と叫ぶのではなくて、やむを得ず死刑という罰を選んでいることの理由がちゃんとあるのだと。
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07月08日(日)
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