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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■東京都は公費で塾を支援します!
ただ、その解決を公費で塾に行かせるなんて方向に求めるのは間違っている。親の学力に格差がある以上、遺伝的にその形質を受け継いでいてしかも環境要因も加われば子どもの学力にその差が受け継がれるのは当然じゃないか。なぜそこに問題があるのか。母親が美人ならば娘も美人になり、親がゴミをそこらにポイ捨てするような公共心のない親なら子どももそういう子どもになる。母親が喫煙していれば中学生の息子も喫煙する。子はしょせん親程度の子どもにしかなれないのだ。カエルの子はカエルというのは千年不変の真理であり、そのことのどこが間違ってるのか。子が親を超えたいと思ったら本人が必死で努力すればいいのである。全く努力しなかったら親よりもさらに馬鹿になる場合もある、これもまた真理である。
親に教育力が無くても、学校できちっと面倒を見てやって学力をつけさせるというのは小学校の教師の役割である。クラスの生徒全員に九九や分数を理解させられずに落ちこぼれが出るとすれば、その責任はどこにあるのか。教師の指導力が足りない場合もあれば、生徒がその程度のことも理解できないほど馬鹿であるという場合もあるだろう。このような実態が存在するとして、「できない子を塾に行かせましょう」という発想は、東京都が公教育の敗北を認めているのである。自分たちの提供する商品がダメなものだということを自分たちが認めているから「公費で塾通いさせる」なんて発想が生まれるのだ。こんな情けない方針に対して、都教委はなぜ反対しないのか。
「塾に行けば成績が上がる」のはなぜか。それまで家でゲームをしたりして遊んでいた時間が学習時間に振り替わるわけで、トータルの学習時間が増加するから成績が上昇するのである。つまり「塾に行ったから」ではなく「勉強時間が増えたから」である。塾に行かなくても自分で自主的にその勉強をすることができれば同じことなのだ。自分の家が貧乏なのは親に学歴がなくて高収入の職業につけなかったからであり、自分ががんばって勉強することで高い学歴を身につけ、努力によって階級上昇を果たせばそれでいいのじゃないか。
オレの両親は中卒だ。だからオレの親は露天商だった。オレは塾になんか行ったこともないし、予備校にももちろん通わなかった。授業料の安い国立大学だから通うことができたわけで、年収200万以下の我が家にオレを私学に通わせる余裕などあるはずがなかった。私立中学受験なんて考えることもなくオレは公立の中学、高校に進んだ。そんな経験を持つオレだから敢えて言う。公費助成など全く必要ないと。勉強するしないはすべて本人の問題だ。本人にやる気があって、きちっと学校での授業を100%理解していれば、センター試験なんて屁でもない。あんなに易しい問題なのになぜセンター試験の全国平均はかくも低いのか。世の中の受験生の多くはほとんど勉強なんかしていないからだ。模試の採点をしてるとあまりのお馬鹿さに笑いたくなるような答案に遭遇すると予備校に勤務する友人は語る。馬鹿に向かって「このゼニで塾に行け」と公費を貸し付けたところで踏み倒されるだけである。「君たちはビンボーで塾に行く余裕がないかも知れない。しかし、塾に行ったらすべての人が成績が伸びる訳ではない。やるやらないは結局本人次第なんだ!」と教師は生徒に向かって語るべきだろう。
公立高校に勤務していた頃、オレはゼニにもならない進学補習を早朝に行ったことがある。すると「キミが勝手に補習をやると、まるでぼくたちがさぼってるみたいに生徒から思われる。家庭の事情で補習をやれない教員の事情も考えて欲しい」と同僚から文句を言われたことがある。オレは激しく反発した。「いま大学に入りたいと願う生徒がいて、早起きしてでも勉強しようと言う意欲を持ってるならば、それに応えてやるのが教師のつとめじゃないんですか?」とオレは反発したのだ。昔のオレは集団にとけ込むことも長い物に巻かれることも拒否するとんがったただの若造だった。きっと今もそれほど変わっていないのだろう。だからこの暴言コラムを書き、日々社会に対して毒舌を吐いてるわけだ。人間というのはつくづく進歩しないものである。
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04月17日(木)
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