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サッカー観戦日記
by T.K.
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■雑文・その時代ごとの風潮に反して
ユース年代や大学サッカーを観ていると世間の風潮とズレを感じることがある。世間と逆のことを主張して、自分なりに真実を言い当てた気分になりたい部分は否定しない。風潮といっても、一部のオピニオンリーダー以外の大半は一般のサッカーファンなのだから、単に流されているだけ、という部分もある。しかし疑問は感じる。
Jリーグ創世記、Jの下部組織保有が義務化され、一気にユースチームが増えた。「チームを勝たせることが目的で、蹴るサッカーに走り、個人を育成しない高校サッカー」に対して、「技術重視で目先の勝敗に走らず、ライセンス保有の指導者が個人を育成するクラブユース」などという主張があった。理想としてはそうなるかもしれない。しかし現実的には疑問が多かった。Jユースの指導者は選手としてのキャリアは豊富だった。しかし指導者としては研修を受けてはいるものの圧倒的に経験不足だった。環境面も劣っていた。好素材を集めてお互いに刺激にはなったと思うが、伸び悩んだ。高校との違いを見ようと全日本ユース選手権に積極的に足を運んだ。94年だったか、名古屋の港サッカー場でG大阪ユースと室蘭大谷高校の1回戦を観た。勝ったのはG大阪ユースだが、体格と足元の技術に優れた選手が足先でつつくようなプレーを披露していたものの、試合は圧倒的に室蘭大谷ペースだった。そのときのG大阪ユースの3年生からは宮本恒靖を含めプロが5人出ている。宮本以外にも才能を持った選手はいた。しかし、ほとんどはプロで頭角を現すことはなかった。「東の財前、西の高木」と評された高木が鳥栖である程度活躍できたくらいだった。G大阪が育成面で結果を出し始めるまでにはもう少し時間がかかった。
Jリーグ誕生とともに、一時弱体化したのが大学サッカーである。95年に福岡ユニバーで地元開催の利を生かしきって初優勝。サッカーは世界中でプロ化が進んでいるのだから、世界の大学はレベルが低いと思われがちだ。一般スポーツファンはそう主張するし、当のサッカーファンまで思い込んでいる。しかしそれは、「同年代のサッカーのプロ」と比べての話であって、「一般スポーツの大学生の競技レベル」と比べて劣るものではない。こんなことは実際に福岡ユニバーを観ていれば分かることだ。だから優勝は確かに快挙だった。一時的に大学界は沸き立った。しかし当時の大学サッカーは環境もよくなく、関西では、何十年もその座についている、さして指導力もないOB監督が一部の選手だけを指導している状況だった。だから私はあまり期待していなかった。その翌年のアトランタ五輪代表に福岡ユニバー代表からはほとんど選出されなかった。福岡ユニバーで輝いていた興津はプロで輝きを放てなかった。
5年ほど前は大学サッカーが極端に低くみられていた。ぬるま湯だの、有力選手が大学に入るのを遠回りだの……。プロに行く人数も少なかったし、浦和が坪井など大学勢を獲得したときは疑問視された。しかしすでに大学は環境が激変していた。1部リーグ8チームの試合を秋だけに行なっていた時代から春季リーグや1部リーグのチーム数の増加で、選手個人の積める試合数は激増。Iリーグの整備でBチーム以下の育成も行なわれ、スタッフの充実や人工芝など施設面の整備も進んでいた。Jのサテライトが育成面で行き詰まり、同年代ではサテよりも大学が同等かそれ以上のレベルにまで強化は進んでいた。今ではプロ入りする選手の5割近くが大学サッカー部出身である。
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01月15日(金)
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